2008年10月16日

春企画募集開始

随分遅くなりましたが、春の奔流企画を決定しました。

Ⅰ.蒼々シルクロード~砂・馬・音・民~ 
    2月20日~3月5日 参加費 : 19万8千円

Ⅱ.乗馬キャラバン -シルクロード・モンゴルを駆けゆく-
    3月6日~3月18日 参加費 : 16万8千円

  (この企画は一度の旅で、モンゴルとシルクロード、
   二つの文明、地域を辿ることができる)
   

 シルクロードのテーマは
 [砂・馬・音・民]この4文字に集約されている。

 果てしない流砂の道、 砂に埋もれた芸術の跡、
 王国の廃墟。古のバザールを訪れながら、
 シルクロードの壮大な時空の中に息づく風の民。

 その悠久な語り、またリズムカルな暮らしに触れる。

 そして古代スキタイ、匈奴、突厥、チンギスハンが
 駆けた大地を馬でゆく。
 大きな歴史と文明を背負って暮らす人々はいつの時代も、
 真摯で温かく我々を受け入れてくれる。

 遊牧の民と一緒にキャラバンを組み、
 騎馬民族のアイデンティティと遊牧文化に身近で触れられる。
 現地生活に根ざしたキャラバンの旅だからこそ、
 彼らと同じ目線で環境・社会を見つめ、
 その国の本当の姿を目にする。

 そのほか、『チベット天空鉄道の旅』を
 3月7日前後の出発で、10日間ほどのプランを
 考えています。

 詳細は資料請求にてお取り寄せ下さい。
 http://www.honryu-china.com/2007/demand/index.html

 (今ホームページ管理者が不在のため、Webに反映するまでは
 少し時間がかかりますが、パンフレットは来週にはできます)

投稿者 wataridori : 21:07 | コメント (0)

2008年10月10日

ゴビの赤い花

僕はゴビという言葉が好きです。
もともとモンゴル語で、砂さえないところ、ゴビといいます。
日本語でゴビ砂漠とよく言いますが、
ゴビと砂漠は違うところです。ただ、ゴビのあるところは砂漠も近くにあり、
ゴビ砂漠という言葉になったかもしれません。

今回シルクロードで乗馬した場所は、
僕の中ではとても忘れられない景色だった。
有名な場所ではないが、すべて映画のような景色だった。
恐らく今まで馬の上の視点で見た人がいなかったからだろう。
馬の上の視点では、一番すばらしい場所かもしれません。
その景色はとても言葉で表現しづらいです。

大地に砂が覆い、黒く枯れた木に緑の新しい枝。
地面を這うように生きている赤い花・・・

撮った写真何枚かアップします。二次元の写真はとても伝わらないが、
とにかく、僕には一番の場所だった。
春のシルクロードの旅はまたそこに行く予定です。

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投稿者 wataridori : 20:24 | コメント (0)

2008年10月08日

旅を終えて

二ヶ月半の馬上の旅を終え、ようやく日本に帰ってきました。
草原を別れ、列車に乗り込んだ時に、
涙でそうだった。
長かったけれど、辛かったけれど、終わるのはとても寂しい。
ひたすら馬を乗り、戦場をゆく気分の中の自分はどれだけ幸せだったかを。

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投稿者 wataridori : 20:09 | コメント (0)

2008年09月18日

東へ

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蒼々シルクロードの旅で、
もう一つすばらしい場所を発見した。
ウルムチからバスで2時間ほどの距離。
黒いゴビと黄色の砂漠、枯れた木と地面に這って咲いている赤い花。
それに馬が通過する際の砂塵。
すべてが織り重なり、まるて映画の世界になった。
これまで誰もこの地のすばらしさを知らなく、
そこまで有名な場所でもなかった。
恐らく、馬の上の視点で見る人はいなかっただろう。
馬の上では最高の場所といえる。

三日間のこの場所での乗馬が終了し、
すぐでもこの気持ちと景色を一番大切な人に伝えたく、
東への帰りの途へついた。

ウルムチも大変すばらしい街。
食べものもおいしい、街並みも華やかで過ごしやすく、
人も美しく・・・中国の中の一番好きな街だった。
だけど、今ひとりでこんなすばらしいものを見ていると思うと、
とてもつらくなる・・・

9月18日

投稿者 wataridori : 02:49 | コメント (0)

2008年08月19日

乗馬キャラバン行軍図

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投稿者 wataridori : 11:38 | コメント (0)

2008年08月18日

三者会議inフフホト

乗馬キャラバンのサポート体制は8年前からできていた。
ダルハン・ムミンガン草原の何百キロ周辺の馬好きな遊牧民たちは皆交替交替で
キャラバンのスタッフとして参加してくる。
毎年地元の草原の遊牧民の周知の定例行事のようだ。

しかし、人は慣れてきたところ、油断と慢心が蔓延りやすい。
とくに組織に弱く、自由気ままの遊牧社会では、大きな課題だ。

今日4陣の日本の学生がフフホトにやってくる。
僕は何日かの休みで、まだ十分緊張感が取り戻していない。
挨拶は明日にしようと思った。

毎回乗馬の日となると、僕の中では、
戦場へゆくような緊張感と高揚感が走る。
自分の一番誇るべき仕事なのだから。

夜、草原のベースキャンプの支配人のダライさんも
わざわざフフホトへやってきた。
フフホト市の旅行会社の社長王さんと私、3人で夜遅くまで作戦会議を練った。
今後17日間の大きな試練に向けて。

この3人はこう真剣に話し合うのは久しぶりだ。
王さんは主に、入国からフフホトまで、どうスケジュール通りに運ぶかに専念する。
今年の北京五輪の影響で極めて難しい状況の中で、
なんとしても夏の企画の交通ルートを確保した第一功者だ。
ダライはキャラバン中の地面のあらゆること、(食事や宿泊などなど)を
総括する管理に優れているモンゴル人だ。
僕は、馬の上の人、事を統率する。この二人のおかげで、僕は
馬の上の事に専念できたのだ。

馬は参加者の安全と内面世界の満足度につながるので、
地面の仕事は、馬の上の事に協調・服従する体制をとっている、絶対的に。
又、馬の上の士気、万全な状態は地面の仕事に支えられているので、
地面の対応の限界と可能性を十分理解しなくてはいけない。
これはキャラバンの運営体制なのだ。

今日のメインの議題は、やはり馬の安全サポートだ。
なんとしても危険を最小に抑えたい。

このような話し合いは日本では当たり前だろうが、
モンゴル・中国の旅行会社ではあまり見られない。
残念なことに、殆どの旅行業関係者は乗馬の危険はまったく知らないのだ。


張 宇

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投稿者 wataridori : 01:37 | コメント (0)

2008年08月16日

白い馬

いよいよ夏の陣の中盤。
8月18日より、17日間の間に、総勢200人ほどキャラバンに参加する。
僕はずっと草原で迎え、街には一度も戻らない、一番勝負の時だ。

以前参加した友人も大勢いる。
中に名古屋からの友人は、馬とトランプの仲だ。奔流も三回目で、
実にうれしい。

草原の遊牧民スタッフにも言った。
僕の一番よい馬を全部連れてくるように。
中に、最高の白い馬がいる。

去年【グレートキャラバン】の時、馬頭琴のイラナさんと局のリポーターが
乗っていた白い馬。
今年現地の競馬で1万メートルを優勝した馬だ。
彼(名古屋の友人)にきっと最高の思い出を作ってくれるだろう。

昔の友人と、モンゴルの大地で、馬の背で再会できるのは、
僕の一番の楽しみだ。

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投稿者 wataridori : 22:14 | コメント (0)

2008年08月14日

乗馬キャラバン キャンプの時の歌

本の出版は決まったものの、まだ書き始めていない。
昨日は地球の歩き方の参加者を見送り、そのままフフホトに留まり、
休養を兼ねて執筆しようと思った。

だけど、なぜか頭に思い浮かんでくるのは
キャラバン中のキャンプの際の一つのモンゴルの唄、「血と涙」という曲。
これは600年前から伝わってきた唄。
歌詞の背景は、
遠い彼方での戦争から、一人の兵士がようやくモンゴルの地に帰ってきた。
しかし、祖国の地を踏んだ時、力がなくなり、2度と立てなくなった。
生命の最後に、この詩を書いた。詩の内容は、
“祖国の地を踏みたかった。
母の元に帰りたい、しかし、今の私は力が尽き、2度に母に会えなくなった。
手紙を書きたいが、
紙がないので、鎧の上に書いた。
ペンがないので、私の血で書いた・・・”


私はいつもこの曲を感情を込めて歌いたい。
私の中の一番のモンゴルの唄なのだ。

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投稿者 wataridori : 21:52 | コメント (0)

2008年07月20日

旅行中のカメラ選び

デジカメカメラが行き渡り、だれもが撮影できる時代。
だからこそ、撮るという行為の意味を一緒に考えたい。


最初旅行に行く時は、皆一眼レフのフィルムカメラでしたが、
今殆どの参加者はデジカメになっていた。
撮ってすぐ見えるのは便利だが、
どんな写真が出来上がるかというわくわくとした期待も
なくなり、とても寂しいです。
撮る感動もあまりなくなった気がします。

なぜそうなったのかと度々考える・・・
撮影者と被写体との関係という点での違いではないかと
思うようになった。

従来の一眼レフカメラはファインダーをのぞき込んでシャッターを切る。
この作業は、世界のある瞬間を切り取るということだ。
そこで撮影者の意志が重要になる。
だから写真の歴史も成り立ってきたとも言えるだろう。

コンパクトデジカメはその点、写真機ではなく、むしろビデオカメラに近い。
ディスプレー上の動画を見て、一時停止ボタンを押すようなもの。
世界を切り取るのではなく、眺めている。
だから人によっては、撮影者の意志さえもたなく、
おもしろい画像をとにかく記録し、記録したものの意味を後で付ける。

人は、映画やテレビのスクリーンを眺めるかのような「視聴者」になってしまう。
目の前の現実と自分の間にデジカメというスクリーンが存在し、衝撃が薄くなる。
たとえそれが悲惨な現実であっても、身に染みるほどの感動であっても、
その衝撃がかなり弱い、ある意味で現代風で、衝撃から身を守ることが可能だと。

僕がいつも従来の一眼レフカメラを薦める理由は、
やはり自分自身の意志を持って、世界を見てほしい。
スクリーンの向こうにいる視聴者ではなく、
使命感をもって世界を臨んでほしい。

難しい話になってしまったが、
僕がフィルムカメラ好きな理由は、
はやりできた一枚一枚の写真の味と込めた思いなのだ。
色においても、デジカメがどんなに進化していても、
フィルムカメラに全然及ばない。

因みにカメラの基本は実のところ、60年代以後
殆ど進歩していないとも言える。
写真の質はレンズだけに頼る。
良い写真撮れるかは、最終的に
撮る人の意志と構図、として光のコントロールなのだ。

中古のカメラの店では、一眼レフフィルムカメラ日本製なら
2万円くらいでもかなり良いもの手に入ると思う。
以上ご参考まで。

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投稿者 wataridori : 22:06 | コメント (0)

2008年04月13日

シルクロードのウルムチでベースキャンプを作る

今年の春、ウルムチの近くの天山山脈で乗馬を行った。
乗馬指導のため、ウルムチで長く滞在した。
そして今後、社会人の方や馬に情熱を抱かれる方々向けに、短い旅でも、
シルクロードと馬のスピリッツを感じられるために、
ウルムチの近くにもキャラバンのベースキャンプを作りたかった。

遊牧民の土地では、文化も慣習も意識も日本や現代社会と大きく違う。
言葉は大事ではない。
物事を運ぶために、尊重と信頼、そして強い意志が
より大切な気がする。

そこに観光客が来ると、遊牧民が馬を引いたり、二人乗りしたり、
それしか考えない。そもそもお客さんは一人ひとり馬を操り、荒野を駆ける
概念はない。また組織もない。(だから自由奔放なんだ)

言葉で話しても仕方がない。
最初の頃は自分の技量でやるしかない。
奔流の参加者のほとんどは初心者だ。
いく前に1時間ほどバスの中で参加者に乗馬講座を行う。
それでもいざ馬を乗ると慌てる。
しかし、乗っているうちに、参加者は教えられたことを少しずつ蘇え、
そして馬のリズムにも慣れてくる。
乗る人の気持ちと度胸に合う馬を選んであげれば、
皆は少しずつ上達していくはずだが、
遊牧民にしては、一般の観光客と何も違わなく、
ただの馬を乗れない連中。
そこは何十頭の馬と人間の中で自分が一人で踏ん張るしかない。
・・・
しかし一時間でもすれば、一部の参加者は走れるようになってくる。
そうしたら遊牧民たちは"与えられた馬次第で、この人たちは走れる、
乗り方は知っている”、とわかってくる。
一部の遊牧民が協力的になってくる。
午後になると、参加者のほとんどが一人で操れるようになる。
そして一日終わる頃に、ほとんどの人は荒野を駆けることができる。
遊牧民たちは驚く。
まったく馬に触れた事のない人は、こんなに荒野を駆けるなんて。
中にも一人の学芸大学で保健体育を専攻している学生は初めての日の最後、
僕と遊牧民二人、競馬まで挑むことができた。

馬のことを話すときりがないので、ここでやめる。
組織も仕事の考えもない遊牧民の世界では、大事なのは
体で示すことだと思う。
そういう意味で、一人でもやり切れるだけの技量が必要かもしれない。

最初の時、遊牧民の中で、僕のことはガイドと呼んでいた。
そしてある時から、彼らは僕のことを"コーチ”と呼ぶようになった。

この団体はほかのツアー客と違うことが理解してくれた。
また僕のやり方とビジョンをわかったくれた。
彼らは僕の言うとおり協力してくれた。
僕の中に、確実にひとつ達成感を味わった。
もう大丈夫だ。

・・・・・・

実際、彼らの間にさまざまな事情が存在する。
長い目でいうと、こういった複雑な事情を見抜かなくてはいけない。
また、彼らの喜びも苦しみも知らなくては。

物理的に牧場を作ることは大して難しくない。
なぜなら、そもそもこんや広い草原、荒野の中では、
牧場が要らない。言い換えればどこでも牧場なのだ。
大事なのはそこの人たちが協力的になってくれるかどうか、
とういった目に見えないソフトな部分だ。

やるべきことはまたまた多い。苦しいことも多い。
でも彼らと約束をした。来年そこに行くときに、一緒にカザフ人の伝統ゲーム"羊さらい”
をやること。それを思うと、思わずうれしくなる。

投稿者 wataridori : 01:21 | コメント (0)

2008年03月05日

列車の中で考えたこと

若い人を旅に連れて行く際に、ガイドのようにサービスだけではいけない。

旅は独立に向かっての一歩だから、
だから旅は独立でなければ意味はない。 
私に頼ろうとする人もいるが、
私の助けは必要最小限に留める。

一番大きな喜びを得るために、
踏み出した一歩は自分で決めてほしい。

投稿者 wataridori : 02:55 | コメント (0)

2007年03月25日

キャラバンの日々

陰山北の草原は馬にのみ適した場所だ
広大な土地には轍ひとつもない
夜に方位磁石なしで迷ったら
海に漂う水平と同じ

民家にたどり着かないと
井戸がなく馬の飲用水は得られない
キャラバンは人間への配慮だけでは成り立たない

朝は羊をさばき、夜はその肉を食う
馬乳酒も欠かせない。
文明の恩恵が遠く、1日の疲れでブーツも抜けなくなる

そよ風は すぐに嵐に変わる
日中は暑苦しく
夜の寒さは非常に厳しい

乗馬中 雨に遇うと
古代に馳せるロマンは 一瞬にして
過酷な現実になる
ドシャブリの中に 寄りどころがなければ
馬の温もりは最後の支えとなる

その中に一ヶ月間 暮らせば
心も体も宙に浮ぶ 埃になりかねない

投稿者 wataridori : 00:23 | コメント (0)

2006年10月20日

日本の馬とモンゴルの馬、シルクロードの馬

この頃、乗馬キャラバンから帰ってきた参加者の何人かは、馬に恋しくなり、日本の乗馬クラブに馬のりに行ったと聞く。その感想は、“駆け足はできなかった”、“乗り方は違う”、“走らせてくれなく、楽しくなかった”などなどです。

“乗り方は違う”というところ、少し気になったので、書いて見ます。

乗馬は決まりの乗り方は特にありません。馬の走り方とそのリズムを感じとって、乗るだけです。

日本の乗馬クラブの馬はほとんどサラブレッドです。上下に震動激しく、小回りはできない。また日本で早く走ることはほとんどない。この違いから、乗り方の違いが生じてきます。

日本で両手で馬乗る(モンゴルは片手)理由は、それは馬が違うとか乗り方というより、初心者の乗り方です。初心者には馬のコントロールを理解するための基本訓練のようなものです。どうしてモンゴルで私が皆に片手の乗り方を最初から教えているかというと、

まず、モンゴルの馬は振動が少ないので、すぐそのリズムをつかめるわけです。長い基本訓練がいらないわけです。

次、モンゴル馬は小回りが利くので(そういう意味で日本の馬が鈍いです)、最初のうち、片手でホールダーのようなものを掴んでいないと、馬は急に避ける時に振り落とされる恐れがある。

日本でも、イギリスでも片手の乗り方はあります。というよりそれは当たり前です。なぜなら、昔馬は交通道具で、また戦争の道具でもある。乗っているだけでは意味はありません。手で武器を持ったりします。あるレベルに上達したら、日本やイギリスの乗り方でも、片手になるはずです。

また、モンゴルの自然体の乗り方は、駆け足の時に、日本でも通用するはずです。日本は駆け足の機会がすくないため、形をつくることで、お客さんは長く来てもらうようにしています。

奔流のキャラバンにも乗馬サークルの人やクラブの人たちも参加しています。日本で相当のレベルに達していれば、モンゴルの馬もすぐ逞しく乗れます。それぞれの馬の必要な乗り方はすぐわかるはずです。しかし、2~3年程度しかやっていない人、また形にこだわる人はなかなか上達しません。

皆さんも、2回、3回モンゴルに行けば、もっと上達して、バランス感覚を身に付けていれば、どこの馬も走らせてやる日が必ずやってきます。

雑談のようですが、参考になれればと思います。

張 宇

投稿者 wataridori : 02:26 | コメント (0)

2006年09月24日

張宇の七匹の駿馬

前も触れたが、キャラバンの時、私はいつも3頭以上自分用の馬を連れて行く。

世話のため前後走るため、実際走る距離は参加者の倍ほどある。馬が疲れないようにするための交替馬である。また、いざという時につねに素早く動けないといけない、とくに駆け足の時、先頭の馬に追いつかなくてはいけない。

この集合写真はそれらを撮っている。ここで、私の7頭の馬の性格と特徴を話そう。この文章を通して、馬は一頭一頭違うことを理解してもらえたらと願いつつ・・・

★宝馬

3年前に初めてこの馬に乗った時、なにも怖がらず、大きな溝でもジャンプしていくため、飼い主は「宝馬」と偶然に呼んだことから由来している。因みに、BMWを中国語に訳すと、「宝馬」となるので、日本の友人には「BM」と話している。

この馬はまさに飛行機のエンジンを車に積め間違えた感じて、走り始めたら、止まろうとしない。走らないように押さえていたら、ちょっと油断すると、ジャンプしていく。狭いところや、道の状況をはっきりしないところでは、とても乗れない。力ない時も乗れない。ただ、気持ちが沈んでいる時は、最高の治療薬。すべて忘れて、雲に乗っている感じ。参加者の中にそれを乗れる人はまだいない。誰が乗ってもおなじように走ってしまいそう、止めることができないからだ。

そういえば、その馬を巧みに止める方法をソレモンさんから教わって(見ていて)、その方法は他の馬を止める時にもよく使う。その馬のおかげで自分の中のちょっとした進歩につながった。やはり荒い馬は人を育つ。

★奔駈

穏やかに安定して走る馬。体も非常にバランスがよく、色が輝いて、美しい馬。スピードが一番早く、安定性がよいため、「奔駈」と名づけられたが、偶然にもドイツのベンツの中国名と同じで、日本の友人にはあっさりと「ベンツ」と紹介している。競馬の際、確実に一位を取りたい時はベンツに乗りかえる。

参加者にも乗らせるのだが、それをうまく操れた人は今まで一人だけだった。「奔駈」は人を選ぶ。乗れなさそうな人は、速く走ってくれない。しかし乗り心地のよさにしろ、安定性にしろ、それに勝るものがない。しかし、万が一調子に乗って走ってしまったら、彼を止めに行けるほど追いつく馬がいないため、以前参加者を乗せる場合、遊牧民スタッフの半分をそれに当てる。「疾走する前に止めてやれ!」ということ。

五陣の最後、足を怪我して、一緒に帰れなく、6陣にも来られなかったのはとても残念だった。だから僕の今年の愛馬の集合写真の中に彼だけはいない。

★蒙字

尻に焼きついたモンゴル文字から由来しているが、赤い輝きを出す馬で、性格も掴めようがなく、友人には、イタリアの名車、「Ferrari」と紹介している。4年前に最高の走りを見せてくれたが、最近怠けている。群れの先頭に行ったら、急に群れに戻るクセがついてしまって、時には90度急に曲がるので、恐ろしい。参加者の人は乗ると、意外と走らないため、たまには参加者も乗っている。ただ、上手な人には乗せられない。うまい人が乗ると止められないからだ。

★商神 (別称:黄豹)

一言、豹のように走る馬。見かけは若干体が大きい以外はとてもちっぼけだが、鞍を着けて人が乗ると、素晴らしい走りを見せてくれる。最近、ベースキャンプ付近の競馬では1500メートルの一位を獲得した。それをうまく操れる人は、飼い主と私だけだった。

今年は主にそれを乗っていて、一瞬で「駿歩」(駆け足よりも早いリズム)になれるため、疾走するか、止めるかの素晴らしい思い出が残った。

彼を止めるにはコツがあって、タイミングが重要。3陣では、スタッフの伊波君に乗せて、なんとか乗れるようになったが、まだ思うとおりに止められなかったようで、競馬の時は、別の馬に乗りかえてもらったので、心の中にちょっとした申し訳ない気持ちが残る。しかし、次の4陣で、私がそれを乗った時、調子が狂ったようで、まっすぐに車にぶつかり、私をぎりぎり大事故に合わせたことを思えば、競馬の時に乗らせなくてよかったと思った。

★佐羅 (ゾロ))

南米の英雄のゾロの名前に因んで、名づけた。剽悍で、たくましい馬。今年手に入れた馬で、それまでは長距離に適していて、短距離で素早い加速はまだいまいち。広い草原へ行けば行くほど、実力を見せてくれるので、来年はとても楽しみだ。

彼の飼い主は私の親友で、とても馬好きなモンゴル青年。名前は難しく覚えられないが、通称「老二」、兄弟の中で2番目ということ。性格も自由奔放で、ベースキャンプのダライの気に入らなく、スタッフというより、私が友人としてつれてきているのだ。

★洛神

一見唐の三蔵法師が乗っている「白竜馬」のように穏やかだが、乗れる人が乗ると、実力発揮してくれる(因みに乗れない人が乗ると、ゆっくりと走る)。顔つきがとても美しく、ある意味で、秦の始皇帝の兵馬庸の中の古代の戦馬と同じ顔つきをしているのだ。3年ぶりに白い愛馬を見つけた。3人の参加者に乗せたが、走らせることのできる人はまだいない。止めるにはさほど困難じゃないので、来年こそ自分の友人やスタッフの人に乗らせたいなとつくづく思う今頃。

★無名

スピードと言えば一番早いだろう。走りが安定していて、止めやすいため、今年はいつも参加者の中の達者(或いは上達した人)に乗ってもらった。それを乗った人は、2陣の大チャン、3陣の蘇君、4陣のスタッフの朝倉君と5陣の尚舞君。6陣は残念ながら彼を乗れる人はいなかった。


私は旅の後半になるとどうしても、心も体も疲れてくる。ゆえに、馬の荒々しさによって、自分の中の情熱を引き出し、疲れを知らずにキャラバン中の“自分しかできないこと”をこなして行く。

なので、荒い馬、若干止めにくい馬が好きになる。そういう意味で、今年、彼はおとなしすぎで、物足りない感じだった。だけど、普通の言う良い馬というのは、このような馬のことを指している。

皆さんは、よい馬とはなにか、自分にとってどんな馬が一番よかったのか振り返って考えてみよう。

投稿者 wataridori : 03:45 | コメント (0)

2006年09月23日

旅の追憶④ 

乗馬の安全管理は、まず馬選びから始まる。

運動神経のあまり良くない人、心細い人が、荒い馬に乗ってしまったら、すぐにも落馬する恐れがある。
逆に運動神経がよく、大胆な人には、おとなしい馬に乗ってしまったら、物足りなさで、油断してしまうかもしれない。

馬を見分ける。また、人間を見抜ける。

それができなければ、乗馬指導者、乗馬ツアーの引率者としては失格だと思う。

2005年のこと。2陣と3陣は草原で一日重ねたので、私は2陣の4日目の乗馬終了後に、3陣の初日の乗馬体験に臨もうとした。両方の距離は80キロ離れている。

途中私のサイドカーの故障で、予定時刻より若干遅れたので、私は3陣のガイドに「私が到着しないと出発しないように」伝えた。初日の馬選びは重要と考えたから。

あまりにも遅れそうで、暗くなりそうなので、ガイドから「並足だけで、出発してもいいですか」と何度も指示願いの電話がかかってきた。出発をあまりにも遅らせると、参加者も文句出るだろうと思って、やむなくガイドに出発許可を下した。

結果は大変なことになった。私が到着後、並足から早足にステップアップした瞬間に、4人も群れから離れ遠くにいってしまった。なんとか止めたが、相当緊張走った。理由は、馬が荒過ぎではない。受身の参加者は、走りがっちの馬に乗ってしまったからだ。乗り手と馬は合わなかった。

ちなみに、2005年の3陣以外、2004年、2006年のキャラバンではこのような緊張は一度もなかった。

投稿者 wataridori : 03:20 | コメント (0)

旅の追憶④ 

乗馬の安全管理は、まず馬選びから始まる。

運動神経のあまり良くない人、心細い人が、荒い馬に乗ってしまったら、すぐにも落馬する恐れがある。
逆に運動神経がよく、大胆な人には、おとなしい馬に乗ってしまったら、物足りなさで、油断してしまうかもしれない。

馬を見分ける。また、人間を見抜ける。

それができなければ、乗馬指導者、乗馬ツアーの引率者としては失格だと思う。

2005年のこと。2陣と3陣は草原で一日重ねたので、私は2陣の4日目の乗馬終了後に、3陣の初日の乗馬体験に臨もうとした。両方の距離は80キロ離れている。

途中私のサイドカーの故障で、予定時刻より若干遅れたので、私は3陣のガイドに「私が到着しないと出発しないように」伝えた。初日の馬選びは重要と考えたから。

あまりにも遅れそうで、暗くなりそうなので、ガイドから「並足だけで、出発してもいいですか」と何度も指示願いの電話がかかってきた。出発をあまりにも遅らせると、参加者も文句出るだろうと思って、やむなくガイドに出発許可を下した。

結果は大変なことになった。私が到着後、並足から早足にステップアップした瞬間に、4人も群れから離れ遠くにいってしまった。なんとか止めたが、相当緊張走った。理由は、馬が荒過ぎではない。受身の参加者は、走りがっちの馬に乗ってしまったからだ。乗り手と馬は合わなかった。

ちなみに、2005年の3陣以外、2004年、2006年のキャラバンではこのような緊張は一度もなかった。

投稿者 wataridori : 03:20 | コメント (0)

2006年09月19日

モンゴルで日本の乗馬上級者たちと競馬

草原二日目、日本の乗馬上級者たちと出会えた。
20人ほどの団体で、年齢が20代後半から60歳までの乗馬達者たち。
服装などを見ても一目で、乗馬のプロだとわかる。

--

世話する二人の遊牧民スタッフは、4年前から「奔流」のスタッフで、
偶々そちらに徴用された。僕とはとっくに親交が深かった。

女性のガイドも、「奔流」がキャラバンの形になったその年のガイドで、
モンゴルの女流ガイドの中で(男女問わず)、わずかながら馬の乗れる方だった。

彼女は初めて僕に会った時、驚いたようだった。
内モンゴルの旅行会社の中では、奔流の旅は有名で、
彼女の中で、張宇という人はきっと背が高く、凄まじい人だと思っていたらしく、
最初、相当私を見くびった(想像と違ったので)。

しかし、キャラバン始まると、自分の乗れなかった馬を私に乗ってもらったり、
「乾杯」などの日本の曲をならったり、何より、「奔流」のような本当にモンゴルに根付いて、
モンゴル人に誇りを感じれるツアーを彼女にとって初めてで、また、企画者で乗馬ツアーの
陣頭指揮できる人は、見たことがなかったようだった。
以来、二年間ほど、夏の奔流のスタッフとなり、お互いに一番信頼できる人ともなった。

--

それもあって、そちらの日本の乗馬上級者の団体と会った時、最初から親しみがあった。
実は彼らは三日間でやっと、私たち一日の行程と同じ場所にたどり着いた。
移動が遅いではなく、草原でぐるぐる回っているだけだった。もちろんお客さん達は知らない。
その理由は後で話そう。

ちょっと会話を交わしただけで、そちらのお客さんたちはどうやら、
私がこのようなキャラバンツアーを最初始めた人だと察知したらしく(さすがプロだ)、
競馬を挑まれた。

私も当然喜ぶわけで、次の日午前中に、「大蘇吉」という町にいく途中の山の麓で会おう、
と約束した。非常にアバウトな約束だが、古代の人々はきっとそうだったと思うと、
わくわくしてくる。もっとも草原ではその方がある意味で賢いとは思うが。

次の日、私たちは細いわき道を抜けようとする時間に合わせたかのように、
彼らは、砂塵を巻き上げ、南の方角から現れた。
草原に暮らしていると、目が鋭くなる。
彼らも早くも我が奔流乗馬隊の存在を気付いたらしい。
ちょうど一面の平らの草原あたりで遭遇できた。

競馬の前、彼らの中にこのような会話が聞こえる。
"この全員、張さんに負けたらいけないな~”、“負けるな”
けれど、僕の中に自信があった。
彼らの中にそこまでのいい馬がいないと見てわかった。
奔流参加者の一割ほど彼らの乗っている馬よりも早いはずだ。
つまり、遊牧民しか乗れないような荒い馬が一頭もいないわけだ。
それなら、一人勝ちでは、どうも恥ずかしいので、こちらの遊牧民スタッフも二人参戦させた。
奔流の参加者は、この段階でまだ競馬のスピード体験できていないし、
競馬の荒々しさも慣れていないので、一人も参加させなかった。

彼らは現地の馬のクセなど知らないと見て、始める前、自分の団員のように、
点検と助言を行なった。
たとえば、休憩の馬の群れはゴールの右側にいるので、馬がゴールについたら、
急に群れに突っ込むかも、など。
それに、万が一のため、私と私のスタッフ3人、一番右の方に並べた。

いざスタート!
遊牧民スタッフの一人がスタートすばやかった。
本来、私は日本の愛好者たちに先頭で走り、最後で勝負を持ち込むかと思ったが、
このままでは、遊牧民スタッフに一位取られる。
そうしたら、本能的に、先頭を追っかけ始めた。
途中気付いたのだが、日本の愛好者たちと相当距離を置いてきた。
我々は全速で走るべきじゃなかった。

結果はこちらの三人の圧勝だった。
しかし、自分の中では苦しかった。つまり彼らは惨敗だったということになる。
恥をかかせたことになる。
予測通り、日本の愛好者たちはそんな顔つきだった。

そこで、彼らは初日の場所に戻り、我々は旅路を続ける。
しばらくの間、僕はずっと競馬のことを頭から離れなかった。
自分がわるいことをしたjかのように感じ始めた。

結局、団体が並足しかいけない道に入ってから、
僕は一人の遊牧民スタッフを連れて、彼らを追っかけた。
駆け足10分ほどすると、彼らを発見した。
大草原の中で、彼らもすぐ私達追っかけてきたことを気付いて、待ってくれた。

僕は馬を下りて、「俺の馬を乗って見なさい、本当のモンゴル馬を!」と言った。
そうしたら、彼らの中、一番年長で、また一番達者そうなおじいさんが、
「私が乗ります」と返事した。
「この馬は何段階で止めなくては」と私が言い添えた。それ以上のことは言う必要がない
と感じた。

その方は、老年にもかかわらず、まったく怖からずに、馬を飛ばして、彼方に向かった。
帰ってきた時に「素晴らしい、素晴らしい」の連発だった。
その後、私は他の何人かと言葉を交わした。たとえば、本当の汗血馬はどこにいるのか、とか。
僕は彼らを後にした時は、お互いにいい印象を残した自信があった。

僕は彼らに本当のモンゴル馬を乗ってほしかった。
そしてモンゴル馬の素晴らしさを知ってほしかった。それは達成した。

--

午後我々の進む道はあまりにも壮大で、僕はまた悲しくなった。
何十年も日本で乗馬をやっていた達者の人たちに案内したかった。

彼らはここまでこられない理由は、観光設備がないというわけで、しかし、それだけ
乗馬を愛している人たちなら、奔流の設備でも来てほしかった。

彼らは確かに草原で走りまくったけれど、目的地がなく、走っているだけだった。

彼らは4日間で、我々一日の行程しか進んでいない理由は、
食事を運んだり、生活の面々、そして馬の帰りなどすべて面倒見れる人がいなかったためだ。

彼らは本当のモンゴル馬を乗れなかった理由は、たとえ日本で2,3十万円を払ったとしても、
結局遊牧民の手元に我々と変わらない料金しか入らないためだった。
そうしたら、遊牧民は当然、自分の愛馬に乗せたくない。一つは乗れる人ほど馬が疲れる。
二つに、早い馬は大抵どこか気性が荒く、止めにくい。
僕がいれば、その人のレベルに合わせて、馬のクセと注意点を教えてあげれば
乗れなくはないが、そちらは、当然だけど、僕のような現地と馬に通じる人はいない。
僕がいれば、こんな達者なら一人2頭の馬を与え、国境まで走ってもらいたい。
もっとも、僕自身はキャラバンの時に、馬が疲れないように、いつも3頭の愛馬を連れて行くのだ。
だから、競馬でも、彼らが勝てるはずはなかった。


その日は私にとって、新たな道のりを始める日になった。私のキャラバンをこのような世界中の
達者に知ってもらい、彼らにもキャラバンの日々を過ごしてもらうと心の中で決めた。
彼らは今までの若い大学生の参加者より、「馬への情熱」という意味で、
もっとこのキャラバンの価値を理解できる人達のはずだ。

投稿者 wataridori : 03:18 | コメント (0)

2006年05月30日

京劇とは

歌(唱)、せりふ(念)、しぐさ(作)、立ちまわり(打)の四つの要素が一体化された総合舞台芸術、京劇。鮮やかな衣装と、厳しい修業に裏打ちされた、役者たちの奥深い芸に、日本でも魅了されるファンが増えている。京劇のプログラムはドラマ性が高く、そのほとんどは、[覇王別姫]のような壮大な歴史の物語より由来している。

最近日本で上演される「楊門女将―楊家の女将軍たち―」も京劇の経典プログラムのひとつです。

時は北宋時代。武門の名家・楊家は、三代にわたり、遼(キタン族)、西夏など周辺諸国の侵略から辺境を守っていた。そこに暮らす女性たちもまた、武芸にたけている。度重なる出征で男たちの多くは戦場で命を落とし、やがて辺境での戦闘で当主も殉死、女性たちが立ち上がるときが来た―。華やかな鎧に身を包む女将軍たちの生き様を、圧倒的な迫力でつづる壮大な歴史ロマン活劇。そこから、中国社会の美意識と女性の社会的地位など垣間見ることもできる。

奔流の旅の間に、京劇を見る機会がもあるので、ぜひご鑑賞をお楽しみ下さい。

投稿者 wataridori : 00:16 | コメント (0)

2006年05月29日

シルクロードの旅と国際交流の真意

シルクロードを旅している時、大地のでっかさに、途方もない感覚は度々あった。

あの風景の中をただ一人、経典を求めて旅をしたらどうだったのか。東西の品を載せてキャラバン隊でタクラマカンを横断しようとしたら、どうだったのか。

それを凌駕するだけの使命感と情熱、野望がないと到底踏破できるはずのない道のりだったろうと思います。

それを成し遂げて見せた古人の精神力の強さと執着をあらためて感じました。

結果的にシルクロードは東西の文化と経済をつなぐ道となり、その主役は命をかけても敢えて往来する古代の‘旅人’。裏返して、命かけるまで成し遂げようとする決心がなければ、到底歴史に足跡を残すことができないだろう。

進路に悩み、形だけのボランティア活動に飛びつく大学生が増えてきている。意欲は賛同できるとしても、やはり大学の間にしっかりと取り込むべきものがあるはずだ。学習に苦労し、専門を深められるならば、自然に社会に貢献できるのではないかと、大学生の諸君に再度考えてほしい。

投稿者 wataridori : 23:46 | コメント (0)

2006年05月25日

中国という国

日本から、わずかな時間で中国の上海や北京に行くことが出来るようになった。
しかしそのイメージといえば、広大な中国の中の、わずかな部分であることに気付きます。

■ ■ ■

私自身のことから言うと、近年中国で旅をし、また映像撮影などに携わるまでは、
中国について故郷ハルピンや北京と上海のような大都市以外は、
なにも知らなかった、という気がする。
いろんな意味で、それは中国のほんの一部にすぎないだろう。

今日本で勉強している中国人留学生のほとんどは都市から来た人達で、彼らに
も同じことが言えないだろうか?
本来架け橋である人達が自分の国のことをほとんど理解していないのは、私に
とって苦痛でもあった。
おそらく今回この文章を書こうとするきっかけはそこにあると思う。


以前、中学校で講演したことがある。
日本の中学生に中国に対するイメージを尋ねたところ、
自転車で通勤する人群れや中華街のような街並みを答える生徒が多かった。
自転車の風景はもう懐かしい。
今では、北京やわずかの都市でしか見られない。

一言で中国を表現するには、それより難しいことはない。
敢えて言うなら「博大精深」という言葉を使いたい。
中国を考える時に、次のようなキーワードを思い浮かべて欲しい。
「多民族共存」、「民族と国家」、「東西の交流」、「古代思想」、「南北格差」、
「沿海部と内陸」、「東洋文明とは」、「社会主義の中国」、「女性の社会進出」
など。

日本に来ている留学生のほとんどは、漢民族の学生である。
漢民族の人は、漢民族を中心に考えがちで、中華文明は多民族で作り上げたものと
いう意味では、彼らは無知と言えなくもない。
たとえば、ある日本人は「中国にラーメンがあるか」と上海出身の人に尋ねたら、
「ラーメンはないよ、日本の方が本場だよ」と応える。
本来ラーメンは西のシルクロードの主食で、今でも、蘭州やトルファンの街では
手作りのラーメンは盛んである。


最近「ヒーロー」という映画がブームになったと聞く。
実際その映画のロケ地はほとんど中国人の知らない中国の内陸部で、
まして任侠の考え方も中国古代(2500も前の春秋戦国時代)から由来している。

衣装設計の担当デザイナーは日本の方だが、衣装そのものは中国古代の衣装を
イメージしたものである。
中国衣装と言ったら、世界中の人はチャイナードレスを思い浮かべるが、
それは実は満州族の衣装である。
漢民族の衣装は、ヒーローという映画の中の服に似ている。
その映画を見て、私は感動した。
「中国の古代の精神的な良きものをよくアピールしてくれた」と感銘を受けた。
監督の中国文明への理解もすばらしいものがある。


中国古代、北の遊牧民族との紛争は絶えなかったし、遊牧民族による統治も何があった。
かれらは中国を占領して、みずから中国と称するようになった。
そのためか、中国は今日まで続いてきた。
しかし、そういう意味で黄河より北では、純粋な漢民族は果たして何人いるだろう。
唐王朝の皇族でさえ、匈奴系の騎馬民族であったことを思えば、
それほど驚くことでもないようだ。


芸術文化で考える時に、西北はイスラム的な色どりがあり、西南では、
チベット文化の影響が濃い。
北は遊牧民族の文明が残っており、西安を中心とした中部では、
古代から伝わってきた漢民族文化が強い。

たとえば流行の歌を見れば、今の流行はほとんど香港・台湾のルーツだが、
それを中国のミュージックと思ったら、大きな間違いである。
中国の土地の匂いのする歌は、映画「紅高梁」の中の曲に近いものである。


経済を考えれば、近年上海の発展から目を離せない。
まるで上海は中国を代表しているように見える。
しかし、中国はあくまでも農業大国で、商業だけではない。中国のインフラ整備や環境問題や、
そして経済発展の問題点など沿海部だけでは知るすべもない。
こういった"中国の現実"を知らずには中国の政策の是非を語れるだろうか?

人そのものを見ても、地域や民族によって、大きく変わるだけでなく、性格も異なる。
北は大らかで心が広い分に、気性も激しい。
雲南や福建、そして四川省などは義理にかたい。
上海周辺は義理も正義感もない分、心が細かく、ビジネスに向いている。

奔流中国というスタディツアーの企画のプロデューサーとして長年務めてきたが、
その力の源は「中国の現実を知ってもらいたい」、「中国の素朴な人達に触れて欲しい」、
そして「中国のスケール(地理的なものと文化的なもの両方)を、
自分達の目で確かめて欲しい」といった思い他ならない。

将来中国でビジネスを始めたい、中国という舞台で競いたい、
日本の友人や知り合いがたくさんいる。
言葉やビジネスチャンスのあれこれが騒がれる中で、
「中国の現実を知ること」、「中国を好きになること」の方が、私はもっとも
大切ではないかと思う。

張 宇

投稿者 wataridori : 15:34 | コメント (0)

2005年12月21日

シルクロードから持ち帰ったもの

旅から次の日、旅行鞄をあけると、自分も驚いた。

莫高窟の切手、火焔山の登頂記念の石、砂漠の砂、
シルクの絨毯、ヤルチャンの帽子、
ウルムチバザールの高級羊皮の手袋、トルファンの干し葡萄、楼蘭のワイン、
それにローマからシルクロードへ伝わってきたと言われるポプラの葉・・・

ある日、旅は家に満ちていた。
ある日、家はギャラリーに変わった。
またある日、ギャラリーはバザールに変わった。
バザールにはまたメンバー達の思い出ばなしで溢れた。

旅は一体どこまでものを生み出すだろう。
シルクロードは果たしてどこまで広がるだろう。

一ヵ月後に。
玄関に、あるものに気づいた。
カザフ人の馬飼いのムチだった。
天山の大草原で馬を駆ける日々を思い浮かべた。
消えない夢は心に残った。
希望の轍が見えてきた。

張 宇  《永久のシルクロード、永遠の旅》より

投稿者 wataridori : 23:15 | コメント (0)

2005年12月20日

長江源流への道(その1)

 敦煌から南下し、まっすぐ一本の道。当金山を越え、いよいよ崑崙山脈にいどむ矢先に、ゴルムドの街が現れた。ゴルムドは「青蔵公路」の始発点であり、2000年も前から人がそこに住み始めた。緑もなく、淡水のないこの街は昔、狩猟を生計にする人々がいた。街と言うより、集落に近い存在だったが、陸路でチベットに通じる唯一の道「青蔵公路」の玄関口なので、地理的に重要な位置にあった。今はチベットやシルクロード南路へ行くための中継点として注目されて、人もその周辺の省や県から集まってくる。20万の人口も控えるまあまあの規模の町に変わった。

 要所ゆえに、敦煌から乗ってきた日野バスはその先にはいけない。ゴルムドのバスに乗り換える必要がある。三台三菱バスに乗ることになる。次ぎの朝、酸素瓶と水、そして果物などをバスに積み上げて、いよいよチベットに向かって出発。出発時刻は9次だが、運転手と現地ガイドの間になにかの争議が起きているようだ。運転手もガイドもゴルムドのガイドが入れ替わるので、一瞬パニックになる。そこで40分も出発時間を遅らせた。しかし、私はこの間に心配していることがあった。

 その日、5000メートル標高以上の崑崙山口を越えることになる。高山病で苦しくなる人は6割と予測していた。それを越えてからは、ゴルムドへ戻ることとラサに向かうこととはさほど変わらなくなるため、高山病で辛くても戻りはできない。しかも高山病には特効薬はなく、軽い運動によって、順応を待つのみ。酸素を吸えばよくなるだろうが、逆に酸素依存症になるから、酸素瓶から離れなくなるらしい。

 しかし、今の若い人は、強い意志と先を読み取る根性で物事を臨むことよりは、やさしい気持ちに神経がとられがち。高山病の軽い段階で、まわりの手当てや心配などが寄せられる事態が予測していた。手当てをしても、本人の症状は変わらないだけでなく、意志が弱くなり、また高山病を意識しすぎて、症状が重くなるだけ。私は見せ掛けの優しさより、崑崙越えと、旅のハイライトの長江源流などにも足を踏み入れることを遂行しなければいけない。しかし、責任者の立場で、厚い手当てしなかったら、怨まれて、自分の威信は落ちるに違いない。だから、この時私が一番恐れていたのは、「だれかの優しい気持ち」だった。(実際、その夜、自分の一番恐れている事態が起きた。)

 私は一号車と三号車で、「これからは進む道しかなく、お互いに励まし、力あわせて崑崙を乗り越えましょう」と励ました。バスはゴルムドから出ると、茶色の岩石からなる山が左から見えてくる。右はゴルムド川、この川は崑崙山脈から流れてきて、青海湖に流れる。絵のよう澄んだ緑の色で、波紋はなく、止まっているようにみえる。崑崙山脈は古くから中国それからシルクロードに暮らす人々に信仰されていた神聖なる山で、たくさんの伝説がある。そこに中国の道教の信仰している宇宙の最高支配者「西王母」の住まいでもある。またタクラマカンの南にある「国々」は崑崙山脈の溶け雪によって暮らしている。だから私には、崑崙と言う響きに宇宙の混沌、蒼々天宇、古きロマンが含まれているように感じる。そして私はいまこの「崑崙」にいる。

 崑崙は古代から一種有名な玉が出ている、崑崙玉である。それをもとめて古代の商人は西や東からゴルムドにやってくる。崑崙の麓では地下から泉が涌いてきて、地元の人たちはそれを生活用水にし、またミネラルウォーターにして売り込む。ゴルムドから崑崙山脈にはいってからは、ほとんど人影もない不毛の地になるはずだが、中国の大西部開発計画の一環として、ゴルムドからチベットのラサまで鉄道をつくることになった。壮大な計画だ。政府は5年後完成することを目指している。レールはほぼいまの青蔵公路にそってつくる。ゆえにバスを走っている間に中国の国営鉄道会社の看板やスローガン、工事現場が見えます。スローガンでは、「大西部に献身」などが書かれていた。

 私は大學で、コンピュータビジョンについて研究していた。しかし心中、「コンピュータビジョンを実現する前、我が人生のビジョンを実現させたい」と繰り返して自分に言い聞かせた。「大西部のゴビ灘に汗を流す」ことは、我なりの青春のロマンだった。今ここに、私の青春の志を見えた。天と地の間、怒涛のような雲と風に包まれる中に、生命の力を感じた。

張 宇 (2001年 長江・黄河源流を辿る旅の回想録)

投稿者 wataridori : 22:57 | コメント (0)