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2008年07月25日

天馬ちゃん

今日は僕の天馬ちゃんのことを書きます。
(天馬ちゃんとは、馬をモチーフとしたレーシングカーのこと)

この頃、気持ちがもやもやすると、ドライブに出かけています、天馬ちゃんと。
天馬ちゃんは僕のかけがえのないパートナーの感じです。

日々調子が違うので、たとえば、雨の日嫌だとか、渋滞で疲れたからぶーぶーと文句いうとか、
最悪の時は、疲れたらエンジンがかからなくなることもある。

だけど、気分がある分だけ、愛着も沸く。

この頃とくに、天馬ちゃんの気分を探るのは楽しいです。
エンジンの回転数とギアチェンジのタイミングなど、探るほどおもしろいです。
おそらく、それがレーシングカーの楽しさかもしれません。
精密に作られた分だけ繊細です。(エンジン以外の部分はとてもアバウトさえ思えるが)

ギアチェンジの際に、エンジンの回転数を上げないといけないです。
というか、入りづらいです。上げすぎると、一瞬ガタガタを感じる。
そして、チェンジする際のわずかなタイムラグで、エンジンの回転数が落ちます。
それを補うため、すこしアクセルを踏むとスムーズにいく。

また、半クラッチとアクセルを踏むタイミングによって、
エンジンの力を存分出せない時もあります。
それが音でわかります。
車の加速の具合も大きく変わってきます。

ギアを絶妙なタイミングでギアチェンジし、
そしてクラッチを話すタイミングをうまく操作する時は、
その時の気持ちはなんとも言えないような喜びを感じられるのです。
まさに馬を乗っている感じです。
道が空いていて、前方開かれている時は、
うまくいきます。

後もう一つ、ハンドル操作の喜び。
エンジンが後ろなので、わずかなハンドルの操作で、
瞬間的に進行方向に反映してくる、まろやかではなくて。
まさに弦を放した矢のように。
これもとてもたまらないです。

・・・・

車は段々楽に運転できるように作っている今の時代。
運転の喜びは一体どこにあるのか、そのことをもう一度考えてほしい。
乗る人も、ナビとか内装とか、運転しやすさとかだけじゃなくて、
操作そのもののハードルを高めて、車の気持ちを理解していくのも、
もっと違う次元の喜びを味わえるのではないかと思う。
もっと大きな喜びを。

・・・

ちょうど僕の今年の愛馬、フェラーリF50(笑)です。
彼と出会った最初の時は、まあまあ早いけれど、力を感じない、妙な馬でした。
ある時、偶然に気づいた。彼を早く走らせる方法。

彼で競馬の時、
手綱をまず一瞬緩む、
その次、スピードを落ちない程度で手綱を引いて、ぴんっと張る状態で走る。
そして勝負の時に、一気に手綱を緩めば、
最高の走りを見せてくれる。

F40の走りぶりを、偶々キャラバンの旅の中、ある参加者は
動画でとってくれました。
http://jp.youtube.com/watch?v=PPMoYAS9SvY

因みに2着は僕の友人のまどかさん。
彼女は僕のフェラーリF40(昔、黄豹という馬)を乗っていました。
僕に負けた理由は、馬と一つになれていないからだと思います。(映像を見て思った。)

よく一緒に馬乗りに来る友人に何回か言ったことがあるかもしれないが、
日本やヨーロッパの乗り方は、あくまでも馬を乗っている、日本の競馬でさえそうです。
馬のリズムをうまく合わせているのです。

しかし、乗馬の最高の域というのは、私は思うに、
馬と一つになることです。
まず体を馬と一つになるのです。
そうすると、振動がなくなり、馬にわざわざ合わせる必要がないです。
その微妙の体のバランスをつかむのです。

その次は、心も一つになる。
それができて、初めて人馬一体の世界が見える。

honryu21.jpg

投稿者 wataridori : 19:43 | コメント (0)

2008年07月20日

旅行中のカメラ選び

デジカメカメラが行き渡り、だれもが撮影できる時代。
だからこそ、撮るという行為の意味を一緒に考えたい。


最初旅行に行く時は、皆一眼レフのフィルムカメラでしたが、
今殆どの参加者はデジカメになっていた。
撮ってすぐ見えるのは便利だが、
どんな写真が出来上がるかというわくわくとした期待も
なくなり、とても寂しいです。
撮る感動もあまりなくなった気がします。

なぜそうなったのかと度々考える・・・
撮影者と被写体との関係という点での違いではないかと
思うようになった。

従来の一眼レフカメラはファインダーをのぞき込んでシャッターを切る。
この作業は、世界のある瞬間を切り取るということだ。
そこで撮影者の意志が重要になる。
だから写真の歴史も成り立ってきたとも言えるだろう。

コンパクトデジカメはその点、写真機ではなく、むしろビデオカメラに近い。
ディスプレー上の動画を見て、一時停止ボタンを押すようなもの。
世界を切り取るのではなく、眺めている。
だから人によっては、撮影者の意志さえもたなく、
おもしろい画像をとにかく記録し、記録したものの意味を後で付ける。

人は、映画やテレビのスクリーンを眺めるかのような「視聴者」になってしまう。
目の前の現実と自分の間にデジカメというスクリーンが存在し、衝撃が薄くなる。
たとえそれが悲惨な現実であっても、身に染みるほどの感動であっても、
その衝撃がかなり弱い、ある意味で現代風で、衝撃から身を守ることが可能だと。

僕がいつも従来の一眼レフカメラを薦める理由は、
やはり自分自身の意志を持って、世界を見てほしい。
スクリーンの向こうにいる視聴者ではなく、
使命感をもって世界を臨んでほしい。

難しい話になってしまったが、
僕がフィルムカメラ好きな理由は、
はやりできた一枚一枚の写真の味と込めた思いなのだ。
色においても、デジカメがどんなに進化していても、
フィルムカメラに全然及ばない。

因みにカメラの基本は実のところ、60年代以後
殆ど進歩していないとも言える。
写真の質はレンズだけに頼る。
良い写真撮れるかは、最終的に
撮る人の意志と構図、として光のコントロールなのだ。

中古のカメラの店では、一眼レフフィルムカメラ日本製なら
2万円くらいでもかなり良いもの手に入ると思う。
以上ご参考まで。

mixi08.jpg


投稿者 wataridori : 22:06 | コメント (0)