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2007年09月25日
グレートキャラバン十日目

9月25日
朝5時、暗闇の中でテントと寝袋など片付け始め、出発準備を。朝冷えの中、馬に乗り始める。薄い光の中で出発する。
さーとした感じで、早足で進む。ほどよい間隔も保たれている。この朝は終始よい体系を保っていた。先頭にモリラさんの弟がいて、僕がその30メートルくらい後ろで全員のスピードを抑える。モリラさんとブホが両側で僕にスピードを合わせる。
僕の心情は静かで、しかしとても嬉しかった。グレートキャラバンはいよいよ無事で終了。この夏もキャラバンツアーが10陣まであって、これですべて無事に終了することになる。打ち上げなんかいらない。言葉で言い表せない。この喜びは現場でその危険とその苦労を知らない人には理解できないだろう。
1時間半過ぎ、小さいな山が見えてくる。ここは今から1200年も前、中央アジアからモンゴル高原にかけて一大帝国を作り上げた突厥の貴族のお墓があった場所だ。石の洞窟が見える。4頭の馬が並べて入れる大きさだ。お墓の中のものはすでに博物館に持っていかれた。しかしこの場所にいることは博物館で文物をみるより、僕には何倍の喜びもある。ここは想像の空間である。なにせ突厥は一番最初鐙を発明した民族である。またこの夏、東突厥の首都だったといわれるシルクロードのバインブルク大草原でも乗馬キャラバンを組んだこともあるだけに、この5000キロの東の地でなお彼らの遺跡を発見したことに自分の中に大きな感動が湧き上がってくる。
山の上に、スタッフのブホさんたちに案内させて、皆は徒歩で上り始めた。僕は以前岩画など何度も見たことがあるため、ハチと二人馬と分かれる最後の写真をとっていた。ハチは自分の好きな4頭の馬を引いて写真を撮った。僕は今年7頭ほど気にいった馬がいる。それは、“黄豹、ホスレンの黄馬(馬交替直後に乗った馬)、洛神(坂口アナの乗った馬)、8番(僕の中では商神とも呼んでいる)、鞍なしの白い馬、薄い黄色の馬(友が乗っていた)、コンコルド(自分の監督馬)である。今年の一番のご褒美はコンコルドに上げたい。参加者が馬を止められなくなった時は、いつもコンコルドで追いつき止めてやった。馬は並べて走ってその後一頭止めればもう一頭も泊まるはずだ。ただその場合の条件として、素早く追いつかないといけない。さもないと競馬となる。ますます相手の馬が速くなる。もう一つは自分の馬も素早く止められないといけない。でなければ、相手の助けにならない。そういう意味で、コンコルドはこういった素質が備えている。来年彼らと会うことは楽しみだ。
別れはいつも辛いものだが、今回は朝早いこともあって、皆の気持ちはついていけなかったようだ。それに、ガイドの同さんは次の日程のため何度も何度も催促されたことだ。バスが出発して、全員が疲れ果てて深い眠りに入った。
自分にとってとても残念だったことがある。僕は今回のグレートキャラバンのために、最後に残したソビエト製のブーツを全部持ってきた。僕の中ではそれが騎馬民族の誇りが現れるものだ。せっかくそれを履いて8日間360キロ完走したものだ。僕ならそれを記念としても買いたくなる。今までのキャラバンの参加者の4割近い人はそれを記念に買って持ち帰った。だから、今回のグレートキャラバンの参加者の一部からブーツが戻される時に大きなショックを受けた。ロマンのかけるところの違いか。
僕の中に反省点が二つあった。一つは1日50キロに伸ばしたところ、時間に迫られ、キャラバンっぽくなったが、果たして今の若い人はそれだけの意識と喜びを感じられるだろうか。それよりもっとたやすい交流やイベントに飛びつきやすいのではないだろうか。乗馬の喜びはそもそも言葉で表せない喜び。心の奥へ、内面へいくものだ。しかし限界を超え疲れすぎる時は、馬の上で最大の喜びを得られても、降りる瞬間に疲れが一気に出てきて、還って沈んでしまう。僕自身はそうであった。日数が短縮されたにもかかわらず、距離を保証するため若干無理があったかもしれない。
二つ目の反省点は募集の過程と方法にあった・・・
しかし、意識がそう高くない人たちを連れて、現代人に考えられない距離と行程で、一人の脱落者も出さずにここまで完走したことに、私は満足している。自分の一番やるべきことをしっかりやれた自負があった。
私は平和時代のリーダではないはずだ。そんなの興味がない。知恵を絞って机に向かって計画を立てるなら、だれでもできることだ。ピーチに立つ時、キャラバンで荒野を進む時こそ、私の主戦場なのだ。
打ち上げなんかはいらない。旭日が登る前に、俺が去ってゆく。

投稿者 wataridori : 14:37 | コメント (0)
2007年09月24日
グレートキャラバン九日目
9月24日
漢の時代の万里の長城に向かう。途中、撮影班と打ち合わせて、駆け足の際に素早く全員止める一連のスタッフたちの動きを映像で収めた。前に湖が見えてきた。いろんな色の花が湖の畔で咲いている。湖の向こうに、昼休憩の場所が見えてきた。そこで休憩することになる。
知らず内に遊牧民3人が現れた。この大部隊を見て興味津々で駆けつけたようだ。そこでお酒で湖とその向こうにあるオボーに酒を捧げ祭った。
その時馬交替前のスタッフたちも車で現れた。参加者たちは大喜びだった。やはり最初というだけで、印象が深かったようだ。
昼ご飯の後、モンゴル相撲を挑んだ。結局参加者全員敗北。この日の夜はハサルのお墓に参る予定なので、のんびりいられなかった。相撲の後、参加者の競馬のはずだが、僕がトイレに行く間に、遊牧民スタッフとその地の遊牧民と競馬を始めようとした。僕が帰ってきたときに、既に3000メートル先のスタート地点に向かっていた。本来参加者の競馬の後行い、参加者の中の優勝者も参加できるはずだったが。
競馬の後、ハサルのお墓へ向かった。ハサルはチンギスハンの弟で、弓の名人でも知られている。この百キロ周辺の土地が生前から与えられ、死後そこにお墓が建てられたという。当時から(現在まで)そのお墓を守っているのは二匹の狼だという逸話もある。夕方17時過ぎようやく到着。その記念館の周りに岩山と高い樹々、モンゴル人の話しによれば、とても風水のよいところらしい。入り口に入ってからさらに1㌔くらい走ると、記念館が現れる。馬で中に入ったのは初めてだという。
モンゴル人ではこういった盛大な儀式の時、青いハタとヨーグルトで祭る。ハチはハサルのことを尊敬しているらしく、僕が持っていた唯一のハタで一緒に捧げた。
今日は夜は近くの小学校の敷地で止まることになる。夜の道はいつもどきどきで興奮を誘う。僕の友人のモリラさんは馬の上でいつも変な鋭い声を出す。到着の際に、参加者たちも喜びを隠さず、彼をまねて変な声を出して、面白い場面だった。実は皆最後一瞬喜び声を上げる理由は別にあった。到着する場所は舞台のようにライトで照らされているのだ。この地方の一番の政府の劇団が舞踊を披露しにきたからだ。立派な劇団だ。輝かしい衣装と舞台措置すべてそろっていた。
ご飯の後だと皆は元気なくなると思い、早速舞踊鑑賞。立派な舞踊で皆は引き込まれていく。遊牧民スタッフたちは一般の観光客向けのショーをよく見ていたが、このような盛大なプロの集まるショーは初めてだという。途中参加者の何人かは日本の歌も披露し、僕も“モンゴル人”という曲を歌う羽目になる。なにより坂口アナは日本のサンジャ祭りの踊りを披露してくれた。入場と退場の際のしぐさはさすがと思った。娘いるならこんな娘がほしいと思った。
ショーの後に、ちょっとしたディスコ、そしてあまちゃんとモンゴル相撲を組む。僕の負けだったが、彼の方に怪我させてしまった。体重の重い人は転ぶときはそれだけ衝撃が大きい。
夕食の際に、参加者に次の日の予定を発表した。次の日は朝5時出発となる。僕としては最後の夜に盛大なキャンプファイアを考えていた。しかし、参加者たちは話に相通じなかったようだ。皆は疲れを隠せない。40キロ近く馬乗り、朝から晩まで、8日目となる。馬を下りて直ぐショーで盛り上がった。当然今は元気がない。夜のキャンプは元気な人のみということになった。
夜は次第と寒くなっていく。その日は僕もテントはなかった。小学校の宿舎へ。朝5時にグランドに戻る予定だった。



投稿者 wataridori : 14:36 | コメント (0)
2007年09月23日
グレートキャラバン八日目
9月23日
この日の朝はとても天気のよい日だった。朝に僕の大好きな曲をかけて、一日始まるのだとわくわくする。この日は競馬と相撲を予定し、長城とハサルのお墓にいくのだ。
朝に軽く馬の世話とモンゴル人の生活の中のヒモの重要さを説明した。馬が夜一晩ずっと草を食べている。朝になって排便して、お腹は直ぐへこんで行く。鞍のベルトを何度も調整する理由はお腹が凹むからだ。常に点検しないと危ない。馬で行くキャラバンは一瞬の油断を許せない。それは馬の上にいる参加者も、世話するスタッフも。世の中、仕事をこなすことは簡単だが、一度もミスを起こさないことは難しい。それは僕がスタッフの人たちに常に言っていることだ。
馬が朝出発して最初の30分から1時間はいつも並足の理由も説明した。馬が夜草を食べさせるため一箇所に留めないが、完全に自由にしてしまうと、家に帰ってしまうのだ。だから二つの足を縛ってあるのだ。そのために最初の時間は走りになれるための時間だ。もちろん馬の体調管理からでもいきなり駆け足したら、馬の体に負担かけて体調にダメージを与える。そのようなことを考慮しないとキャラバンは成り立たない。馬と行くキャラバンは人間だけでいくより遥かに難しいのだ。
馬の群れを発見。この季節はメスの馬は妊娠している可能性があり、追いかけてはいけないと遊牧民から聞いた。しかし少しでもその迫力のあるシーンを映像に収めたいので、5人を連れて馬の群れに向かって静かに前進した。撮影の車は500メートル先の横のところに待機させた。そこで意外なことがあった。僕らは馬の前に回り、追いかけるつもりだった。しかし馬の群れは予測より早く察知して動き始めた。そうするとこちらも追いかけないと追いつかなくなる。そこで、6人で追いかけ始める。群れのスピードも予測より速かった。こちらもスピードを緩まず、先頭に回りたい思いだった。結局3キロも追いかけてしまい、最後に一頭の馬が柵にぶつかる嵌めになった。とても自分を許せない判断のミスだった。本来予測より早く群れが動いた瞬間に、追いかけるのを一時やめて、撮影車を次の待機先を考えればよかった。その方がいい映像が取れるし、馬の体調に損なう危険もない。その時思ったことは、古代の王様たちは平和の時に軍事力を保つために、狩猟を行う。狩猟の中にこういった判断力など鍛えるものだ。戦場は教科書通りではない。あらゆる要素が交差し、状況を総合して素早く判断する能力を育てるものだ。
因みに世界の旅行業を考えたら、団体の観光旅行など殆どで、一人の冒険があっても、皆で目的地に向かうキャラバンはない。何が違うかと聞かれたら、僕がいつもこう答える。“それは守衛部隊と野戦部隊の違いだ。”私は部隊というなら、野戦部隊に誇りを持っている。それは一番軍隊らしいからだ。この仕事で現場(フィールド)にいることは私の誇りでもある。
昼直前、坂口アナと会話するときに、彼女はその白い馬をまだ乗りこなせないことで涙が出た。涙が出てしまったことに正直僕も驚いた。彼女はなかなか気強い女の子だ。馬と真剣勝負だった。前日彼女は僕に聞いた。“自分があの白い馬を乗って、もっともっとその馬が能力あるように思えるけど、私のような下手な人が乗ってしまって馬もストレスが溜まるだよね。”って。その言葉に気付かせられて、皆に大胆さの重要性を説いた。僕は昨日坂口さんにこう言った。“あの馬はナーダムでも上位に入る馬だ。でも乗り手に合わせて走る馬だ。やさしく褒めてあげても、馬はそれだけではちっとも喜ばないのだ。なぜなら自分の持っている素晴らしいものが見出されていないからだ。だから、もっと大胆に乗る必要があるかもしれない。そうしたら馬も喜びを感じるはずだ。”その時に気付いたことだが、大胆にのることは、馬を理解することでもある。
午後、鉄道が見えてきた。レールの下に通過できるトンネルがあった。僕は安心できる馬を乗っている5人(友君、善田君、ハチ、坂口アナ、モリラ)の参加者を選んで、敢えてレールの上で敢行した。レールは急斜面の上に作られている。友は馬で登れるものかという顔つきだった。登ったところ、レールの横でやっと一頭の馬が通れる細さだった。レールの真ん中だと馬が怖がるので、その横を通るしかない。一分間ほど歩いたら、下のカメラマンから叫ぶ声が聞こえた。“列車が来たよ!”。登ってきた斜面を馬で降りるのは難しい。といっても馬を回転させるだけのスペースもなく、馬から下りたら、斜面に落ちてしまう恐れもある中、なんとか無事に降りて、斜面を下った。列車は通過した。再び登り、レールを渡って下った。その時、坂口アナは息が止まったという。レールを渡った後の皆の安堵した顔を見るだけでも、域が止まるほどのことだったな。
その時ハチの言葉がしばらく耳に残った。レールの横で、馬から下りるかそのままで下るか判断が迫る時に、ハチは“降りたら、馬の横で歩くのがかえって怖い”。それだけ上達したものか。そのちょっとした言葉の中に、馬を信頼し、馬を乗る自分に自信が満ちていることを感じた。馬を乗る時に馬から伝わってくる“信号”を僕と同じように理解できているようには思った。彼がその時乗っている馬は競馬でも上位の馬だけど、安定感がある。それが彼はしっかり汲み取れている。逆に僕がその時に乗っていた“黄豹”は、手に負えない潜在な力を持っているようで、不安だった。彼も“黄豹”について同じ風に感じた。
鉄道を渡った後、僕と友とハチは先に群れを追いかけた。途中僕は馬を止めて、自分の馬は群れに突っ込む恐れがあるから、ゆっくりいくといった。その後坂口アナと善田君三人で向かった。その時に、地形をじっくり眺めていたら、一番駆け足に適し、また映像的に撮影しやすい場所だった。僕がいないわずかな間に、スタッフのブホさんに、ゆっくり進めてくださいと言ったが、彼は少し早足で進めたため、鉄道から大部進んだ。映像的な感覚は彼らが当然持っていない。気持ちがさえないが、その後、もっと冴えないことが起きた。休憩の後、出発しようとした瞬間、一人羊を放牧している遊牧民を見つけた。僕の中で、典型的な羊飼いの顔だった。撮影班との打ち合わせの中に、食事の調達している場面を撮りたかったのだ。それは実際スタッフ達は僕らが馬乗っている間に、出会った遊牧民と交渉して買っているのだ。だけど、いつ、どこでと言うのは決まっていない。その場面はなかなか収録できない。そこで思いついたのは、撮影班を載せているジープの運転手王さんを呼び戻そうとした。そうしたら王さんと羊飼いを交渉し、夜の食事、羊をゲットするシーンが取れると思った。無線で撮影班とつながったので、ジープが直ぐ戻ってくると思った。しかし、10分間待っていても、ジープが動かない。遊牧民スタッフを飛ばして呼び戻すことになった。その時分かったのはジープの運転手が同さんになっていた。いつもの王さんなら何かあると直ぐに労力を惜しまずに戻ってくる。僕は同さんを厳しく叱った。“車で遊んでいる場合じゃない、今撮影班を載せているのだ、王さんでないとうまく行かないのだ。”王さんは会社の社長で、同さんはその部下である。しかし、交替した理由は別にあるが、しかしその理由を含めて、同さんが心のどこかに、王さんと同じように仕事できると思い込んでしまった結果だと思う。キャラバンは色んな部門の緊密な連携があって初めてうまく行く。王さんはどんなに長くやっていても慢心しないのに対して、同さんはすぐに慢心してしまう。同じ目標に向かう統一した指揮系統がないと、キャラバンは上手くいかない。私は王さんを信頼する理由はそこにあった。偶々に起こったように思えることは実はすべて深いところでつながっていた。キャラバン七日目、些細なことだけど、自分の中では、これまで僕のキャラバンの体制は長く続いたため、慢心が出ていたことに痛感した。それは5日間から9日間に伸ばしたところで一気に噴出してきたと感じた。
その後、開かれた谷間や平らの草原で何度も駆け足をした。皆にとってまちも待った駆け足だから、元気よく走った。しかし撮影班は駆け足の際に構えるべき位置をまだ十分掴んでいない気がした。例えば下りきったところで待機したりする。下りは先ず駆け足はできないのだ。そういった部分で少し時間がかかった。
夜、遊牧民の家(スーチンさん)の家に着いた。55キロの道のりを無事に終わった。夜はキャンプファイア。僕と撮影班、そして王さん、ダライたちと部屋の中で酒を酌み交わした。



投稿者 wataridori : 14:35 | コメント (0)
2007年09月22日
グレートキャラバン七日目
9月22日
この日の移動距離は25キロくらい。初めてのゆとりのある日だ。朝皆出発前、キャラバン生活と馬について参加者に考えてもらった。僕もこの時にキャラバンで何を伝えたいのか、すこし皆に話した。
出発は10時半くらいとなる。この日は風が強く、轟々と聞こえる。出発まもなく道に迷った。車の中のスーホーさんたちは正しい道を教えたはずなのに、馬部隊を世話するスタッフは自分の記憶で走った。風の中でひたすら進む。途中白いゲルと城のようなものが遠くに見えた。それに向かって駆け足で進めた、城を攻略するように。近くになると、馬の通れない配線が散らかっているのが見え、急いで部隊を止めた。
私が草原のどこでもキャラバンで進める勇気がある理由は、馬のことを知っており、また遊牧民との連携の強さにあり、また参加者は指示を絶対的に従ってくれる自信があるからだ。カリスマとかではなく、馬上にいる自分は真剣だから、時には参加者に危険を回避させるため、自分の危険を忘れているくらいだ。献身的とかではなく、僕にとって戦場だから。とにかく参加者の安全を守り、なお心の自由と最大限の喜びを感じてほしかった。以前全員駆け足のビデオを日本の乗馬クラブの支配人たちと乗馬振興会の人たちに見せたことがある。“それは楽しいけど、止まらないよ”と言ったことが私は忘れられない。“普通は止められないけど、私が指揮しているなら、50メートルでもあれば、止められる”と応えた。僕が乗馬の最大限の喜びを体験させつつも、安全なサポートと両立できる理由は、そこの高いハードルの対応能力にあるのだ。彼らは信じられなかった。だから自分の中で悔しさと、自分が進んで宣伝しないとこんな素晴らしい人馬一体の感覚は世間の人を知るすべがないという使命感にも燃えた。それは今回のグレートキャラバンにつながった。だから僕の目先の目標の一つは、日本中のすべての馬に情熱を感じる人たちに、人馬一体と言う感覚を知って欲しい、僕と一緒にモンゴルの大草原で思い存分に駆けてほしいと暗に決めた。それは遠い目標ではない、近頃に必ず実現させるのだ。
昼休憩。友人に丸ごとの焼き鳥を買ってきてもらって、撮影班の人たちと食べた。本当は参加者全員に食べてほしかったが、撮影班の人たちは好きそうだった。やはり皆そろそろ違うものを食べたくなったなと実感した。現に僕はグレートキャラバン始まる日から羊に飽きたし。(因みに、次の日、焼き鳥をもう二つを買ってきてもらった。)
午後、景色は段々と変わっていく。午後から馬の世話スタッフたちは変わった。3,4年も前、馬の上にいた“老”スタッフたちは馬に乗った。最近、彼らは宿営とかもっと人の見えない裏の仕事に回された。久しぶり古いパートナーたちと仕事する。駆け足で高い丘に登った。遠くまで見晴らしできる台地で、興奮を覚えた。その後山の頂で騎馬隊を進むシーンを撮るため、騎馬隊を一列にした。見事にできた。古いスタッフだけに、話が早い。スーホー後ろに行かせ、そして後ろから先頭に飛ばしてもらった。彼は、映画の中のように、“報!後ろ順調!”ではっしゃいた。
この後、僕が馬走りながら、坂口アナの馬に乗り換えようとした時に、落馬してしまったことがあった。段々道はこれまでとまったく違ってくる。河の跡、樹が茂る道、両側に石だらけの山脈。この先は孫吾空から名づけられた花果山だ。信じられない景色だった。夢の世界の中にいる感じはした。面白い人が三人いた。ゆかさんはいつも帽子を深く被っているため、道が見えていなく、樹にぶつかって、それを抱いてしばらく揺れた。馬はその間当然先に行ってしまった。もう一人樹に引っかかってゆっくりと落ちた。佐藤君は最後にいて何を考えているかわからないが、横に伸びている枝にぶつかって止まった(皆はうまく頭下げて通れたはずなのに)。これはもし映像に撮れたら視聴者はきっと笑いが止まらないだろうなと思った。地面も石がいっぱい散らかっているが、参加者は見事に馬乗る際の要領を覚えていた。
その日、予定では花果山で宿泊することになるが、僕に二つの不安があった。一つは、馬の食べる草の確保。夜は馬が散歩しながら草を食べている。50何頭の馬が食べ歩くだけの場所と草があるのか、馬は石にぶつかって足が怪我しないのか。二つ目、参加者は30人でもいれば、わけも分からないことを起こす人は一人くらいいるだろう。周りは険しい山と巨岩、大樹。場所は美しいが、注意をしても参加者の中に安全管理できていない人もいるのだ。今の若い人はとにかく危険意識がない。皆に一時間自由行動させた。その間、迷いも迷った末、先に行くことに決めた。17キロ先となる。でも、そうすることで、次の日、本来70キロの道のりが53キロに減らすことができた。日が沈んだ後、道が暗くなる。スタッフのホスゲさんが常に100メートル前で走ってもらった。緊急なことがあったらいつでも止められる早足の状態で騎馬隊を進めた。撮影車もライトを照らし、道路も見やすくなった。
1時間30分くらい、遊牧民の家に到着した。そこでご飯の準備と宿営が始まった。キャラバンならではの機動能力だ。予定の変更は簡単だ。このあたりの地理もしっかり下見したお陰だ。一軒の遊牧民の家は見る間に軍営となる。遊牧民スタッフは自由に出入りし、そこで火と容器などすべて軍用に調達される。日本では到底考えられない大らかさだ。遊牧民はお互いに、特に遠来のお客に一種の親しみがある。
夜、作戦会議。僕にしては珍しく参加者を呼び集めて会議を開くのだ。距離は長いのと、参加者は次第と疲れてきて、また上達してきて、油断と慢心が広がりやすい時期だ。そこで気持ちを戒めるため、何日間の馬との向き合いの中で、皆が感じることを話し合ってもらった。その時、ハチとコバの話はとてもよかった。ハチは“上達の一番の早道は気持ちが負けないこと”、コバは以前慢心して落馬した体験もあるだけに、馬の危険を話してくれた。やっさんは面白いことを言った、“恋人と付き合う気持ちで馬と付き合うべきだ”。なんとなくわかるけれど、そもそも恋人と付き合う気持ちはなんなのかは僕には分からないから。そういえば、二日目やっさんに、乗っている馬はどう、と聞いた時に、彼は“大好きで、ラブラブしているよ”と答えた。立派な返事だ。
とにかくその日皆に知って欲しいのは、“油断、慢心の危険、それに乗りこなすには、大胆さと、馬を征服しなければいけない心構えだった。
深夜、どうも眠れないので、遊牧民スタッフとトランプで夜更けた。現地のやり方は2セット(108枚)使う。ルールを分からないが、僕がトランプゲームに自信があったので(どれも基本は一緒だから)説明してもらって、朝まで戦った。


投稿者 wataridori : 14:34 | コメント (0)
2007年09月21日
グレートキャラバン六日目
9月21日
早朝6時起き、イラナさんと撮影班たちで朝日の中の馬頭琴の撮影に出かけた。ロケ地は例の河床にした。初めてプロモーション製作の現場に立った。
朝9時キャラバン出発。この日も日程的に厳しい。ここまで毎日50キロ近く走ってきた。今日馬を交替する。そこで競馬も行う。
この日ちょっとした気になることが二つあった。一つは休憩の時に、イラナさんのプロデューサーはついでにイラナのプロモーションビデオも作りたい。以前はよい馬がなくて失敗したらしい。そこで僕は先頭でリードして走り、イラナは30メートル後ろで走れば、イラナだけを撮ればよいかと勧めたが、イラナだけを撮りたいとプロデューサーの方は言い返す。それはそうだけど、僕が先頭でリードしないと、イラナの技量では一人で馬を思うとおりに操れないのが見えているのだ。まさに僕が彼女のプロモーションに出たいように思われてがっかりした。手伝いたいのに。プロデューサーの方は僕とそして撮影スタッフと打ち合わせする。イラナがどう走るべきかについて。そこで僕は、机の上の空論だ、イラナは思うとおりに馬を動かせないはずだ。
僕はその馬を知っている。人の技量を読める馬だ。馬を乗って撮影する際は、撮る側の意向だけではうまく行かない。馬を自由に操れる人なら別だが。でも、そのことを通して、撮影班はもしかして少しでも僕が撮影の角度や場所に対して細かく指定する理由を知ったかもしれない。それまでは、僕が指示したりすると、不地味に感じたかもしれない。僕はあくまでも隊長であり、撮影は撮影のプロデューサーに任せなさい、のような態度だった。僕は撮影に口出す理由は、カメラは馬部隊に追いつかないためだ。馬のスピード、馬の視点、馬の走る位置などすべて撮影の可能性を拘束している。実際こちらが協力しないと、何も撮影できない状況だろう。参加者を美しく撮るのでなくて、本当の姿をとるためでも、しっかりとした打ち合わせが必要だった。また馬の上のことを考慮しないと実際どうせむりだ。僕は馬の上の参加者の姿をそのまま撮れることを願った。あまりにも迫力があり、対自然と溶け込んで美しいものなのだ。だけど、撮影の車は追いつかないケースが多い。映画撮影と違って、やり直しはできないのだ。
お昼に着く前に、こんなこともあった。僕は以前から参加者に馬を勝手に交替するなと言っている。その理由も言ったことがある。馬は一頭一頭性格も能力も違う。僕は皆の技量を見て判断している。適当に交替したら、手に負えなかったり、怖い目にあうことを警告した。しかし、二人の女の子は勝手に馬を交替し、その一人が駆け足の際に、手に負えなく、怖い目にあった。それを知った時に厳しく叱った。その時は撮影の車が近くにいた。本来僕の考えでは、ドキュメンタリーなら、とくに“なぜこの張がこんなハードなキャラバンでも、6000人以上の乗馬指導で、怪我人がでないのか”というのは一つ番組のテーマだった。今のようなことは本来説得力のあることだ。しかし、撮影班は当然、馬隊のことを知らなく、想像では、要は落馬者がいて、それを説得してまた乗り続けるみたいなものと考えていたようだ。しかし、それはプロの仕事ではない。
潜在的に存在する危険を排除し、乗り手の技量と気持ちを把握し、微かな変化を察知して素早く対処するのはプロの仕事だ。だから一般に考える落馬してやさしく面倒みることはプロの仕事ではない。いかに落馬者を出さない、またたとえ落馬しても、いかに事故につながらない乗り方を覚えてもらうかは重要だ。それでも馬は動物なので、自分でこげる時があるし、乗っている人も運動神経と集中力がそれぞれ違うわけで、絶対安全とは言えない。ただ言えることは、一般的な乗馬の危険を1%以下に抑えたこと。それは馬の性格と乗り方を知らなく起こる危険を度を重ねる説明で抑えたこと、人為的な危険な要素(油断、慢心など)をなくしたこと、乗馬隊の馬の質を高め、馬の状況を知った上で人を乗らせていることだ。最後の最後は、運に任せるしかない。その結果、私の乗馬ツアーの参加者は、まず、二日目に駆け足しても怖くなくなり、正しい手綱の持ち方、モンゴル馬ならではの踏ん張る方法をマスターしている;次、馬が多少躓いても、参加者が簡単に落馬しない;三つ目、馬の急な動きのなか、手綱をちゃんともっていないため落馬する人は一人もいない;四つ目、三日目でもなれば、3割の参加者(もともと初心者の人)は日本で何年も馬を乗っている人たちでも乗れないような荒い馬を制御することができるようになる。またもう一つ馬の質という意味で、私の乗馬隊に半分以上は、普通乗馬の達者のツアーでも集められないようないい馬だったことは私の誇りだ。多くの参加者は襲歩(駆け足の上のリズムで、日本では競馬の時だけみることができる)まで体験している。
だから、そういった部分を表現できる映像を撮らないと、見る側としてはなぜ安全なのかは伝わらないはずだ。人は荒い馬を乗っていると、気持ちも言葉も荒々しくなる。それは僕より年上の撮影班の方々に大変申し訳ないことだったが、馬の上にいると、戦場の気持ちだ。
お昼に近づいて、二ついやな知らせが入ってきた。一つは、交替馬が到着するのは予定より一時間遅くなること。二つは、今日街に馬で入るはずだが、観光局の人は急に話しが変わり、馬で街に入れないという知らせだ。それを聞いた時に、現地の責任者のダライに怒りを隠せなかった。まず交替馬の件。お昼に競馬など行うので、交替馬が来て、そこでまず少し休ませてからでないと、僕が馬のことを心配するのだ。ちょうど参加者がお昼食べている間に馬を休憩させたかった。何度も念を押していたのに。次、街のこと。前日の夜、観光局の人とダライと3人でゲルの中で酒を飲んだ。パートロカーが道を案内し、歓迎式は街のど真ん中で行う、と約束してくれた。なのに、すぐに変わる。確かにそれはダライのせいではない。中国政府の役人は、官僚主義の上、話を守らない。自分たちが一番偉いと考えているからだ。だから中国で何かする時に、日本より遥かに難しい。現場解決能力が大事だ。100%大丈夫といっても安心できない。どこまでも配慮しないといけない。昔からよく言われる話だが、中国の役人がよく、物事がうまく運んだ時に、“俺がいるからできた”、しかしうまく行かない時は、今度“制度があるから無理だ”というらしい。
私は諦めなかった。街に入れない理由として、政府がここは観光都市でない、まして日本人が馬でやってくると、侵略戦争など思い出され、政府に反発する機運が高まると困る、ということだった。僕はダライにこういった。“侵略戦争を言うなら、北京も上海も日本人を受け入れなければよい。確かに馬は特別だから、しかしそれはモンゴル人の誇りだ。モンゴルに対する愛着があるからこそ、馬で困難と苦痛を耐えて、ここまで来たんだ。そのことを伝えてみなさい。また交通を考えて、街のど真ん中でなくてよいから、小学校の近くまでいければよい。”私の勘では、それはできないはずはない。同時に通訳の白梅さんと王さんに、“街に入れないかもしれないことは、だれにも言うな”。団体の士気が無意味に動揺するからだ。過程はどうであれと、最終的に街に入れるようになるからだ。
昔から私は不確実な情報を流すことを極力反対だ。団体の士気を動揺させるべきでない。リアルタイムで情報を知らせないと指摘されるかもしれないが、説明する暇がないからだ。説明の時間があるくらいなら、問題解決に使いたいのだ。おそらくそれは責任感のある人と責任感のない人の違いかもしれない。責任者の立場に立てば、退く道を考えるべきでない。いかなる困難があっても、解決していくものだ。最後の最後まで努力するものだ。だからうまくいった時は、だれもその過程はどれだけ大変だったかを知らない。しかし知る者は知る。物事が上手くいったというのは必ず多くの苦労があることがいうまでもない。プロの仕事はそういうものだから。仕事経験のある人や、年配の人なら皆わかることだ。しかし、今の若い学生たちはそういうことは分からない。若い子たちはよくざわざわ仕事している人が大変だという。トラブルが起こったらまたリーダの人は大変だという。実はそれがきちんと仕事できていないだけなのだ。仕事できる人は、人の気付かない間に仕事を運ぶ。私がそのことを知らされたのは10年前のことだった。チンギスハンのお墓にいった時。参加者たちがバスから降りて、僕が行ったことがあるためバスに残った。その時運転手は僕に、一緒に遊びに行こうぜって言った。10分後に、着いたところはガソリンスタンドだった。僕が運転手に、この道を通って来たから、来る時にガソリンを入れればよいのに、と言った。その時に、その運転手は笑って僕に言った言葉が今でも鮮やかだ。“プロは本当に仕事をしているところを人に見せない”。
私が学生だった頃の話で、今のキャラバンの仕事を携わる最初のころだった。馬の上でも同じ事が言える。無言のうちに多くの危険を回避しているのだ。それが危険だと皆が分かる時は、それは誰かが仕事をこなしていないからだ。
昼ご飯開始20分後に、交替馬がやってくる。4台のトラックに載せられていた。どう降りるか思ったところ、トラックは後ろから道路に近づいていた。道路は1.5メートルほど高くなっているからだ。何人かのスタッフたちはトラックに登って、ヒモを解いていく。何分後に馬は一頭一頭降りてくる。馬がとても元気な様子を見てほっとした。この時は前半の馬も入れて、120頭くらいの馬と50人近くの遊牧民スタッフ、トラックと見物にくる人たちがいて、なかなかの壮観だ。ナーダム大会の感じだった。参加者の多くはその時ご飯を食べていて、見に来なかったのはとても残念だ。批判的かもしれないが、今の学生は思いが薄いままで、海外に来てしまい、形のあるものだけに飛びつき、本来感動する場面に意欲を示さなかったりする。少し残念に思う。
まもなく競馬が始まる。競馬は賞品が5000元(8万円くらい、現地の人にしては相当な大金)があるため、現地の人たちは真剣だ。地方ナーダムでも出るような馬が揃った。僕と参加者のハチ(中島君)も出場することになった。僕は3番以内を目指した。いざスタート。一頭の馬(乗り手、ホスレン)は横から僕の進路が塞がれる。やむなく斜めに走り、減速する。その後も思うようにスピードは上がらない。結局7名くらいになってしまい、悔しかった。中島君は初めて現地の人の真剣勝負に参加し、結果はよくないが、泣いた。彼も競馬がこんなに疲れるものだと初めて知った。これまで参加者と競馬し、いつも圧勝だった。後で僕も知ったことがあった。僕の前横から入った来るのはスタッフのホスレンだった。彼はある意味で故意的に邪魔していた。なんてかというと、僕はモリラの8番の馬をいつも競馬で使う。僕の中ではそれが一番早いと思ったいるという証拠だ。ホスレンの家も100頭くらいの馬を買っていて、競馬をやっている家系だ。僕がモリラの馬を乗ることが彼のプライドに傷付けたのである。遊牧民の誇りは馬にあると改めて知ってのである。
競馬の後、イラナさんは帰ることになる。最後皆に曲を弾いてもらった。三匹の駿馬という曲。僕のためだという。僕の名刺では、“張宇と彼の三匹の駿馬”のように書いてあったから。僕の中では、初めてイラナさんと馬を乗り、すごく率直な女性で、とても印象的だった。彼女も僕が中国人でありながら、モンゴルの好青年の印象は第一印象らしい。短かったが、良い思い出となった。でも彼女のことを通して、僕は感じるものがあった。
馬交替。新たな生命力。見るだけでも分かるような力強い馬たち。僕はこう説明した。
“・・・これまで乗りなれてきた馬と違って、一頭一頭の走り方は皆まだなれないし、性格も把握していないので、最初は控えめに。とくに思い切って走らないように。思い切って走ると、馬は興奮して止まらなくなる恐れがある・・・”
出発一分後に早速参加者同士で馬を交替させた。鐙の長さがあっていない者と、馬が力強く手に負えない人がいるからだ。その後の勢いがすごく、皆もそれを感じていたので、とても真剣に乗っていた。明らかに素晴らしい馬揃いだ。
その時、街に入れるようになったという知らせがきた。ただ、16時前に歓迎式のところにつかないといけない。いくら急いでも、参加者の馬の不慣れによる交代やベルト点検は欠かせない、早足で走れば、ベルトの調整の数を少なくて済む。長い列ができて、騎馬隊のようにいい感じで散らかっていく。いい感じというのは、馬は競争にならずにそれぞれのペースで走れる。またいい間隔を保ち、ぶつかったり後ろの馬が道路が見えなかったりする心配がないということ。しかし、幾つ山を越えても、街は見えてこない。時間は迫ってくる。ダライさんたちに催促される。撮影班やダライさんさちとの打ち合わせも走りながら携帯電話で話しを進める。自然と荒々しくなる。皆にどいう風に撮影したいのか、そもそも話したところ、皆の技量では到底できない。時間のない中で、馬も人も撮影班も何より町への到着時間などすべて考慮し、荒々しくなった記憶がある。しかし道は永遠と続く。
遠くにアンテナが見えた、スタッフの一人はそこが町だという。二つの橋を渡せば街に着くらしい。17時に着きそうだ。街の見える山の角のところで歓迎する政府の人たちが見えてきた。せっかくだから、撮影車を先に行かせて、堂々と列を整えて向かった。実はその時もちょっとした認識の違いが生じた。僕が遊牧民スタッフ二人先頭に行かせた。僕とその二人、そしてハチ、四人で先にお酒を受ければ、後ろの人たちは自然とわかるのだと思った。しかし、現地政府の人は、遊牧民スタッフを目に入らない。無視されたと言っていいくらい。僕も引率者扱いとなった。中国政府の人は、遊牧民を普段から見くびっているのだ。どうせ馬遣いだという感じ。しかし、僕の中では参加者もスタッフもこのキャラバンの欠かせない構成メンバーであり、どちらがお客さん、どちらかサービスを提供する側という考えは嫌いだ。キャラバンを迎えに来ているなら、遊牧民スタッフを含めて歓迎しなければいけない。しかし、このような僕の考えは果たして政府の人はどのようにうけとめるだろうか。
歓迎式で当然お酒を振るった。これから皆“飲酒運転”となる。一本の道で街の中心へ向かう。パートロカー、撮影車、騎馬隊という順で。スピードをアップしていく。先頭組7人ほど撮影車のすぐ後ろで走った。後続組と段々距離が開かれる。馬の耐力の差だ。
道路の両側に人が増える。馬の上で人を見るのは久しぶりだ。これまでは空と大地、雲、羊の群ればかり見てきた。人を見るとなぜか妙な安堵感がある。普段は人が多いとざわざわと感じるはずだが。またこの極限に疲れ果てている連中、顔の日焼けしている連中も面白く見られている。これまではそんなことを気にもしなかったのだ。しかし段々ここは都会だと分かった。商店が並び、5階建てのマンションが連なっている。建築も整然としている。
そして何より、夢中に車を追かけ、現実か映画かわからない世界の中で、車を追かけた。車に迫った。そして橋を渡ったところで馬降りた。後ろ振り向くと、一匹の馬が飛ぶように向かっている。ハチだ。馬が速いのに、わざと僕らと離れ、そして一気に駆け足で来る。飲酒運転+スピード違反だ。遠くに後続部隊が現れた。僕らと1キロくらい差が開いた。街に入るととても大軍団に見えた。街を襲いかかっているようだ。
徒歩で小学校に向かう。皆の気分がとても高揚している。街の近くの草原で育てた遊牧民スタッフはこう言った。“初めて馬で来た、違うね”と喜んだ。5分後に小学校に着く。グランドで学生たちはサッカーとゲームで遊んでいる。中国政府の人は、整列してプレゼントを渡したり、上からの官僚的な交流をイメージしていたが、僕は断固反対した。一緒に遊べば自然と溶け込む。その方が自然な交流ができるのだ。
サッカーが始まる。参加者の何人かは小学生の方に入って、チーム戦が始まる。結果は2対1で勝ったが、小学生にしてはなかなかの善戦ぶりだった。強かった。その後プレゼントを渡して、はしゃいた。現地のテレビ局のインタービューも受けた。参加者の富くんは、マイクの前で話したことばが僕に印象残った。“日本の子供たちは知らない人に距離を置いてしまうが、草原の子供たちはすぐ暖かく受け入れてくれる。”その時、コバ君もとても立派なことを応えたが、今に思い出せなくて、残念だ。
もう少し学校に止まりたかったが、政府の人は何度も何度も催促する。警察も催促する。彼らは時間通りに家に帰りたいのだ。表面上の交流しか理解できない政府や官僚には、私は何も言うことはない。相当無理をして、ここまでできたことに感謝いっぱいだ。だけど、奔流のような心の交流にも目覚めてほしい。帰りに5日ぶりにアイスクリームを皆に奢った。因みに僕一人でその時8個も食べた。草原の15円のハーゲンダズだ。因みに中国のアイスクリームは安くておいしい。世界中の高級アイスクリーム市場がハーゲンダズに独占されるのはとても理解できない。
街を出て、街のナーダム大会の際の競馬場に向かう。その日、そこで宿営するのだ。アスファルトの道を馬で走る。街の光を馬上で振り返る。なんといとおしい光だ。しばらくすると、空が暗くなる。車のライトで走ることとなる。因みに撮影の車ではなく、後ろは大変渋滞しているのだ。馬で道路を埋まっている。車のライトの光の中、皆は勇者に見えた。道ははっきりと見えないが、僕とスタッフ二人一番先頭で走った。視力がよいのと、自分の乗っている馬に信じているからだ。もう一つは、車の通れる道なら、馬は恐れることなし、という馬上の人のプライドだ。スタッフのホスレンはこの時、僕に笑って言った。“俺も初めて馬で街に入った、クールなものだね、いい感覚だ。”遊牧民の世界では、複雑な心理表現の言葉はない。よほど感じるものがあっただろう。
競馬場の入り口に入る際に、両側に溝があり、真ん中しか通行できない。ダライは通知しにきたのは少し遅かった。縦列を作る暇がなく、皆入り口に寄せてきた。無理に止めるしかない。一人は溝の前に馬が躓き落ちた。参加者は僕を呼んだ。僕がそこを無視して、後続の人たちを止めるように務めた。馬から落ちて怪我をしていなければ、やさしそうに見に行くのは、人に見せるための行動であって、それより重要なのは、次々にやってくる人たちをしっかりサポートすることだ。僕はいつも冷たく思われるかもしれないが、人の見えない次の危険を防ぐことを優先するのだ。
到着すると、今度政府の人から大変なお礼を届けてくれた。羊の背中の肉だ。それはモンゴルでは一番と尊い礼儀らしい。
長い一日だ。しかし振り返るだけの体力はない。



投稿者 wataridori : 14:33 | コメント (0)
2007年09月20日
グレートキャラバン五日目
9月20日
今日は待ちも待ったオロンスム遺跡へ。また昼に女の子の友人であり、馬頭琴の女性演奏者であるイラナさんが来ることを知った。
撮影班から注文がきた。馬乳酒を飲むシーンを撮りたい。ブーツを撮影したい。
昼はある遊牧民の家に。そこで漬物を食べた。2ヶ月間も草原にいるとさすがに羊に興味がなくなり、漬物が大好きになる。二皿くらい食べ尽くした。その直後にイラナさんを乗せた車が接近していると聞いた。番組の中に、彼女の馬頭琴の演奏を使いたいということもあり、このまま合流したらいかにも普通過ぎるので、馬隊進行中で合流したいという要望があった。早速出発。馬隊の後ろに車がやってくる。馬乗りながら車の中のイラナさんと挨拶。そしてイラナさんも馬に乗る。その一連はうまくいったようだ。
その間に寂しくなったのは、アナンサーの坂口さんだった。イラナさんは僕と競馬したいと以前から聞いている。そのために友人の連れてきた白い馬に乗せた。それまでに坂口さんが乗っていた。彼女に別の鞍にホルダのついている馬を探すと言うことだったが、馬隊出発一分後に、スタッフは後ろからやってきて、ホルダついている馬はもうない、坂口アナを車に乗せたとの報告。しょうがない、次の休憩の時に馬を用意してあげると思った。次の休憩の時に、坂口アナと会った。彼女は車の中でぷんぷんしているって。確かに、きれいな女性が現れると、自分のことが忘れられる気持ちを分からなくはない。その日の夜、坂口アナから、“その馬頭琴の女性は名前なんだっけ?いらないさん?”と聞かれた。僕は笑いは止まらなかった。その日から、仕事のパートナーの坂口アナに親しく感じた。
後に聞いたのだが、イラナさんが来た時に、僕は大好きな赤い馬に、彼女は白い馬に。2000年前の匈奴の王様が王昭君を迎えるようだ。参加者たちは援護団みたいとからかわれた。実は白い馬は、乗り手は乗りこなせないと、赤い馬から離れはしない、それだけのことだった。
オロンスムに迫る。また見えないが、一帯に長い草が生えている。草の中に馬隊は進みゆく。川を渡る。皆は思わず歓声を上げる。川を渡って西へ。丘へ登る。オロンスムだ!目の前に見えたオロンスムの輪郭に言葉を失った。以前下見の時に、到着したのは夜だったため、幾つの城壁のようなものしか見えなかったが、今は街の輪郭と構造が見えてきた。まさにその瞬間、右に沈みゆく太陽、左は月、両者の中にオロンスムがそこにある。過去の栄光が見えた。私はまさに馬で入るとは思わなかった。それを要求していたが、実現できるとは。今の中国の政府機関は官僚的で、約束したことは守らない。逆に想像も付かないことができる時もある。
オロンスムの遺跡を知ったのは、現地の遊牧民の口からだった。誰でも大して物とは思わなかった。現地の人は殆ど近づいたことがない。そもそも興味がない。僕はチンギスハンの時代の考古的なものに興味があって、夏のキャラバンツアーの間に無理に時間をとって、4人で下見に行った。丁度その後、ある古代シルクロードの地図を見る時に、オロンスムという街がカラコルムと並べて、モンゴル時代、シルクロードの重要な街となったことを知った。西の文化を取り入れる最初の街だったらしい。しかもその地図に載ったモンゴル時代の街はカラコルムとオロンスムだけだった。後で文献を調べ、楼蘭のようなすごい遺跡だと分かった。また一般的に認識されていないだけに、発見の喜びがあった。
オロンスムの中で長くいた。日が沈んだ後、目的地に向かって出発した。馬はさーと行く。一気に早足で向かう。参加者の顔に緊張と言葉に出せず喜びを隠せない。川を渡る時に、川に照らした夕焼けの中、騎馬隊がわたってゆく姿に言葉を失い、早速デジカメを出したが、間に合わなく、皆が通り終わってしまった。最後にコバさんと友人だけ残して、川の中に写真をとってあげた。その景色の中、騎馬隊を通っていくシーンを取れなかったのは正直とてもとても悔しかった。それはもしかしてこの騎馬隊のロマンを一番表現できる場所だったかもしれない。
夜、イラナさんのプロデューさーと現地の友人のダライさん、王さん、観光局の局長たちお酒を飲んだ。観光局の局長は明日街へ入る準備はすべて整えて、安心しなさいということだった。ほっとしたところだが、実は次の日大きなトラブルとなった。


投稿者 wataridori : 14:08 | コメント (0)
2007年09月19日
グレートキャラバン四日目
9月19日
早朝6時、6人のリピータの人に、馬の世話の方法を説明した。草を食べるため草原に散らかっていた馬をかき集める作業から手伝ってもらった。早朝は寒い。僕は馬をかき集める間にもう一度寝袋に入った。僕だけ寝袋がなかった。だから朝になってやっと人の寝袋に入れて嬉しかった。
馬の世話と鞍着ける仕事は危険なもので、また慣れていないと、乗る人に危険を与えてしまう恐れがあることをしっかり理解してもらった。そうしたら、次の日から馬の世話を自分でやりたいと言う人はいなくなった。馬でいく旅は思ったほど楽じゃないということを分かったと思う。
9時出発。しばらく行くと、でこぼこの道になる。少し高い丘を越えてゆく。気付くとそこは春秋時代の長城の後だった。それだけ風化され、ちっぽけとなって、あっけなく越えてしまった気がすると、道路の左側に地の果てまでにつづく長城の残骸が見えてきた。やっぱり立派なものだ。2500年間経ち、それでもなお孤高にこの草原に横たわっている。
長城のところで、ビデオカメラが渡された。馬の上の視点で撮ってほしいということ。コンコルドに乗って、敢行したのは、駆け足の撮影だった。その方が振動を一番小さく抑えられるわけだ。
その日は草原が広いが、柵に囲まれた細い道しか進めなかった。遊牧民は草が命なので、政府に与えられた土地を他の人の家畜が入らないように必死に守るため柵を作っている。また草の少ない年では、羊は草を探し、草の根まで食べてしまう。それが砂漠化の原因の一つともなる。柵できり刻んだ草原を見て、不安に感じる時があった。でも道はきれいだった。どこまでもつづく道。風景は知らず内に変わってゆく。
お昼に、新たな生命力が加わった。僕の友人が5頭の馬を連れてきた。そういえば昨日別の友人も2頭の馬を連れてきた。これて40人にして馬は54頭。馬を交替交替休憩させることができ、上達した人にどんどんよい馬を乗らせることもできた。友人が現れた時に、僕と二人で馬の上でちょっとした特技を見せた。馬を下りずに馬上で馬をチェンジした。あの友人は23歳で、ひたすら馬が好き。今でも裸(鞍なし)の馬に乗り競馬に参加し、そして参加する度にお腹が痛くなる。(競馬やる人は皆おかしくなる。現に競馬用の馬も頭がおかしくなっている、実際のところ)
午後4時くらい、僕も疲れて、地面に転がった。アナ坂口に、“今日の張さんは一番だらしない”とからかわれた。隣に塩田友君がいた。彼はいつも心から本当の思いを語ってくれる。だから撮影の方も呼んだ。“日々日本での暮らしは自分でなにかを切り拓こうとしなくなった・・・ここにきて、すこしづつ若い勇気を取り戻している、情熱を感じる・・・毎日馬と向き合い、真剣だ・・・”など言っている。独特なユーモアな口調があり、話しにも深みがある。張さんに対しての印象と聞かれた時に“無茶をやる”という一言だった。“だけど、実現に向けて一生懸命方法を考える・・・情熱の塊だ”みたいなことを言ってくれた。最高の褒め言葉と感謝すると同時に、己を知る友、とのようにも思えた。
無茶をやるという言葉は素晴らしい。彼はどこから思いついたかわからないが、午前中彼は馬から落ちた。スタッフのミスだった。しかし責めるだけじゃなくて、ミスがあっても落ちない乗り方があるとも教えた。人は人に頼って生きるべきじゃない、他人(人間)はミスを起こすものだと、というのは僕の考えだ。落馬の時に、彼は腕を撃って、軽い捻挫になったようだ。見せられた時に、僕がわざと強くひっぱった。“痛い~!”って悲鳴を上げた。次僕が薬あるよと言ったら、彼は“ハンマーですか”って言われた。なかなか楽しいやつだ。
その日も暗い中で到着した。初めてテントを建てる。遊牧民たちの住むでかいテントにも望ませた。なぜなら、中は羊の糞がビニールの敷き布団の下にある。それは伝統的なやり方で、温かく、冷えないらしい。皆がテントを建てようとした時に、一瞬危険に感じた。骨組用の棒がはねたりするので、大人数で狭いところで作業を取り掛かると危ないと感じた。現に今の若い人は危険意識はない。他人はミスすると自分に危険を及ぼし、注意すべきものを抑えるという考えがなく、その一方、ちっとも人を信用しないひねくれた人もいる。実は年の人を指導するよりはるかに難しいことに感じる。早速注意点とテントを建てる際のグループわけをした。
その日の夜僕が早く寝た。外に騒ぐ声が聞こえた。そのうち騒ぎ声がなくなり、静まる。次目が覚める時は、風の音が轟々に聞こえた。そして自分のテントが動いている、いやすでに動かされる感じはした。テントの中になぜか自分ひとりだった。テントのドアを開けてみると、本来皆のテントがあるはずだが、まったく見えない。蒼い大地とわずかな月の光しか見えない。急に怖くなった。ドアを閉め、だけどテントになにかが取り掛かってくるように感じる。狼か、あるいは熊か。早速スタッフの何人かに電話してみた。すべて電源切っている。もう眠る場合じゃない、ひそかに中で戦う準備をした。だけど急に気付いたことがあり、このテントは開け口が二つある。地面が斜面だったため、寝ているうちに体の方向が変わった。そこで開けたドアは反対側だった。だから何もなかった。やっと安心した。眠り続けた、朝まで。]

投稿者 wataridori : 14:30 | コメント (0)
2007年09月18日
グレートキャラバン三日目
9月18日
朝早く起きた人がいた。
僕は前の日の夜、朝6時に起きれば、重要なことに気づくはずだ、と参加者に話した。
しかし自分はどうしても起きられなかった。
彼らが見えたものは、朝馬の世話だった。前日雨のため、馬は夜十分の草を食べられなく、また耐力が落ちるため、栄養剤(通称、料)を食べさせている。キャラバンは人より馬への配慮は重要だ。馬はデリケートだからだ。水が美味しくないと、死んでも飲まない。夜に草をきちんと食べられないと、次の日すぐにつまづく。だから遊牧民スタッフを多く連れてきた。参加者は馬の様子を見ても分かるはずはない。
残念ながら、起きた人も、馬に餌をあげることは見たにしても、それはこのキャラバンを支えるもっとも大切な仕事の一部であるとは考えていないようだ。普段のツアーではその重要さを説明するが、今回は皆さん自分で気付いてほしい。
この日は60キロ先春秋戦国時代の長城を目指す。無理なら50キロ先の民家で宿泊する。
そうきめて出発した。向かったのがモンゴル伝統のオボーである。オボーとは道祖神のようなもので、円錐形に石を積み上げられていて、通りがかった者は石を投げ入れながら右回りに巡回してお参りする。モンゴル最古の宗教的伝統のひとつとされている。地方ごとに決まった日にオボー供養祭が行なわれ、モンゴルの伝統行事ナーダムも、もともとオボーの供養祭のひとつだった。
まもなく一つのオボーが現れた。観光客に開放していないため、伝統が厳しい。登れるのは男のみで、しかも馬でなくてはならない。男の子たちをつれて小高い丘の上にあるオボー(アウボー)にのぼり、旅の安全を祈願することになる。観光客に開放していないだけあって、神秘であり、厳重な空気が漂う。馬を下りて、スタッフと同じように石を拾い、頭よりちょっと高い高さまで持ち上げ、オボーに向かって堂々と歩いていく。その石をオボーに積み上げる。そしてゆっくりと戻ってくる。儀式が終わって、山を降りていく。遠くに参加者の女の子たちはいる。“ゆっくり下り、山底の割れ目を渡ったら、一気に襲い掛かろう”。その言葉とおり、皆は山賊のように襲い掛かった。
この日の道は古代シルクロードの草原の道を沿って進む。シルクとお茶の交易の道。この道はウランバートルに通じているらしい。数知れないキャラバン隊は通りぬいてゆく光景を思い浮かべる。しかし今はなにもない、我ら騎馬隊のみ。
この日の道は以前通ったことがあります。山を越え、古い村を越え、畑の間の細い道を通りぬいた。難しかったのは馬が固まって走りがちだが、なんとか2列に並べて走ることが大事。皆は十分コントロールできていない状況だから、スタッフたちに、集団の中に入れ、と指示をだした。そうすることによって、列がいくつかの小さいな集団になり、固まらなくなる。スピードを落とすと今度また固まってしまうので、ほぼ安定した早足で進めた。撮影車が先頭で走って、先頭組の参加者10人ほどそれを追っかけるシーンは忘れられないほど楽しかった。
夕方、道が広い草原となり、場所的に駆け足ができるのだが、馬の耐力を考えて、殆ど早足にした。夕日はきれいだった。思わず歌い始める学生がいた。遊牧民スタッフたちもまた歌い始める。
終了直前、馬の上で、“馬で草原を駆ける際に存在する危険”を参加者にそれぞれ応えてもらった。なぜなら、日数が長いし、距離も長い。僕が指示するだけで、なぜというのは理解しないと、そのうち真剣に聞かなくなる恐れがある。それぞれ気付いたもの、そして気付いていないものを徹底的に説明する必要があった。
その日は結局50キロのところで終了した。夜はスタッフ紹介。お酒も振るった。
この日通った道は古代シルクロードの草原の道。シルクロードは主に三つのルートがある。中でも一番古くから栄えたのはこの北の草原の道。今から4000年も前から絹の貿易があったと言われ、技術や文明が騎馬民族によって東西に伝わった。それはおそらく馬がいたからこそ、シルクロードに最古の時代から人が交易のため往来し、文化交流につながったと思う。そう考えたら、馬は人類への意義は計り知れない・・・


投稿者 wataridori : 14:28 | コメント (0)
2007年09月17日
グレートキャラバン二日目
9月17日
大慌しい一日
朝、皆は健康ランドでシャワーと朝食。その間、日本へ写真データを送り、撮影エピログの出力のためあちこち足を運んだ。現に初日だから撮影班も運転手たちも車もお互いに慣れていない。
草原へ出発後、乗馬講座。
初日は盛大な歓迎式とナーダム並の競馬を用意していた。しかし・・・
朝から大雨降り続けた情報が入った。集まってきた遊牧民たちは次第と帰っていた。競馬に来た人も帰った。なんてこの雨が初日なのか(怒り)!撮影のことを考えたら、今日だけ歓迎式とナーダムが撮れるのに。
午後草原到着。親しい顔ぶれが現れた。僕の夏のスタッフほぼ全員が揃った。映画撮影用の鎧も着ていた。外はまだ雨降っている。極めて寒い。コートを借りた(僕の自前のコートは荷物トランクに入ってすぐ出せない。)
草原は雨で滑るので、歓迎式の馬のショーも何もできなかった。
とりあえずゲルに入った。その間ブーツの試着、Babourのコートの配布など行った。生姜のスープを作り、体を温めた。
その間、僕はスタッフと打ち合わせをした。雨の中の出発を決意した。それは参加者の気持ちを考慮したもので、僕自身でいうと、長い間に溜まってきた疲れと肌が震えるほどの寒さで本当は出発したくはなかった。
状況をすべて確認して、いざ出発。この日、馬はとても力強く感じた。恐らく寒いため、馬は速く走りたい。初めての日、馬に慣れていないので、スタッフたちと馬のスピードを抑えるのはいっぱいいっぱいだった。でも、いい馬揃ったことに安心した。
実はキャラバンの前の準備段階では、馬は一番頭抱える問題だった。なぜなら、一般のモンゴルの馬は1日の移動距離は20キロから30キロ。(日本の馬だったら、10キロ持たない)今回はそれを一気に50キロ引き上げる。そのために耐力のあるまた力強い馬でないといけない。しかし大抵そういう馬は、荒い。1日でもすれば、僕の教え方を実践している内に操れるはずだが、最初のうち、止めにくい。また駆け足の時に、参加者の手に負えにくい心配がある。逆におとなしい馬にすると、耐力を持たない上、つまずきやすい。
だから、一般のツアーの時、馬をしっかり観察し、よさそうな馬がいると、交渉してキャラバンのために買い取った。こうして選び抜かれた90頭の馬は果たしてうまくいくのか。遊牧民にしても、現代社会にしても、このような長距離のキャラバンは初めての試みであるだけに、不安と期待の目線で向けられている。
馬は2,3日耐えたとしても、限界を越えたため、その後死んでしまうこともよくある。そのために馬を買ってしまう形でないと、遊牧民はいい馬を預けてくれない。
夜9時、スタッフ会議を開く。雨のせいで日程を変更せざるを得なくなり、宿泊場所の最終決定と同行スタッフの決定、それに僕と現地のリーダからの訓示だ。管理体制を作っていても、体制というのは生き物だから。毎回出発の際にこういった会議を開き、要は気持ちをリセットさせ、戒める。一瞬の油断は致命的だから。こうして先導役、後ろ役、リード役など決めていく。注意点を説明する。慣れているスタッフばかりだから、話も早い。
取材班の人も呼んだ。なせなら僕ら宿営地など決める際に、多くのことを考慮する。それは普通の参加者では分からない。分かるはずはない。馬のこと、牧草地のこと、人の要素、給養のことなどすべて考える。それは企業の作戦会議と違って、お酒を酌みながら、皮を干しながら、笑いの中で重要事項を決めていく。
その日の夜私は参加者に、“なんて俺について来たの?寒さと辛さと怖さ、いやでないのか。少なくても俺は後悔している、このキャラバンを作ったことに・・・”、こうからかっていた。

投稿者 wataridori : 14:22 | コメント (0)
2007年09月16日
グレートキャラバン一日目
9月16日
朝、フフホトから北京へ戻りホテルContinentで洋風朝食 撮影の予定表を確認。
昼、女性用SPAへ行き、そこで長く疲れ、焼け、乾燥しきった顔を潤った。
午後、北京で飛行機組と合流する。空港の人ごみの中では耐えられなかったので、空港内足裏マッサージの店で待っていた。極めて話の多いガイド範さんに迎えに行ってもらった。
最後のコバくんと合流し、人力車で駅に向かう。途中30分間で四川火鍋を食べた。
夜、撮影班と合流する。合流シーンはうまくとれていない。なぜなら坂口アナは階段の上で待っていて、用意する時間を与えてくれた。しかし僕は演技できない、自然でないとね。
