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2006年11月22日

ファッションブランド「SUN」の立ち上げについて

私のしたいことは、スーパーや商店街で服を販売することではない。セレクトショップを作ることでもない。私は東京のファッションの発信地、渋谷・原宿で‘不変の時代性’を持つ服を展示・販売したい。

私は去年、シルクロードの果てにある天山山脈の奥のバインブルク草原で乗馬キャラバンを組んだことがある。とても印象的だったのは、そこの遊牧民の服装は世界一のフランスのファッションブランド、ディオールの今年の設計した服装と非常に似ていることだ。一昨年、シルクロードの西域南路を旅した時も、現地のウィグルの人達の服装がその年のプラダの服装とほぼ同じとも気づいたことがあります。ちょうどそれらが今の日本、そして世界のファッションをリードしている形である。

もっと正確に言おう。世界をリードしているブランドはこういったマイナメジャーな地域(古代文明発祥の地や遊牧民の地)やもっと原始的な、一見時代遅れの民族(地域)から、デザインの発想・創意・概念のようなものを得ている。時には、真似しているのだ。

なぜ、ブランドの名前を付けただけで、本来の何十倍の値段、たとえば、上着ひとつで1000ドル以上で売れるのだろうか。それは他でもない。ブランドの持つ概念と哲学の力。そして、こういった内面的なものをもつかなかがはイタリアやフランスのトップブランドと一般の日本やアジアの会社との根本的な違いだと思う。

私の言う、「不変の時代性」をもつファッションとは、強い人間の意志を表し、冒険心に富み、生存本能の満ちるファッションである。そのファッションを創り出すのは、幾度ものシルクロードとモンゴルの旅を通して、「ファッション」という言葉が入り込む前の素晴らしいファッションに出会ってきた私にしかできないことだと思う。なぜなら、深くその地域・民衆に溶け込んで始めて彼らの持つスピリッツを哲学と想像力に仕上げることができると思うし、また、つねに世界最先端のファッションの発祥地にいなければ、彼らの一見粗雑な服装とファッションにとの密接な関係を見抜くことができないのだ。

それが私にしかできないこと。私の旅行と同様、私の人生の哲学と創造力そのものである。

時代も私の情熱を必要としている。私は成功しなければいけない。なぜなら、今日の日本は、盲目的に流行を追いかけている社会であり、今日の中国は、金銭とファッションと混沌している社会であるとおもわれるからだ。これらの国のファッションは、「自然界との競争と共存、心の世界との同調」というファッション存在の根本を忘れている。

内容的に「不変の時代性」を持ち、デザイン的に、内在的な強靭さと外面的な美しさと両立しているものは、私の創り出したいブランドである。

張 宇

投稿者 wataridori : 02:15 | コメント (0)

2006年11月21日

アートと旅

ある哲学者は、人間の欲望を4層のピラミッドとたとえる。
一番下は、生き残る欲望。
次は交友、娯楽。
その次は、名誉と権力。
ピラミッドの一番上は、アートと芸術だという。

一般の海外旅行、又奔流の旅での、列車や船などの時間、都会での自由行動の時間は
ピラミッドでいうと、下から2番の交友と娯楽へいの追求の範囲である。
しかし、モンゴルで、風となった時、シルクロードとチベットで壮大な自然と古代の遺跡にたたずむ時は、
間違えなく、参加者のアート的な感性、芸術への欲望を刺激する。
だから、言葉で言い表せない心の喜びが感じられる。

芸術を専攻している人は、
その気持ちを絵や音楽で表現し、時には言葉でも表すことができる。
残念ながら、心で感じるものを表現したりする訓練のない人は、
それを、言葉で言い表せなく、人にも伝えられない。
旅が終わって、ひたすら友人ができるとか、上海や列車で印象に残った形のあるものを語る。

もう一度、“馬乗る時の気持ちは”、“シルクロードとは何か”、“奔流とは何か”
のようなことを考えて、言葉にして見なさい。そうしたら、あなたはひとまわりも、ふたまわりも
成長するはずだ。

「人馬一体」は芸術世界の最高峰であることを考えたら、「奔流」の旅はアートという厳しい視点に耐えるだけの内容が織り込まれているではないだろうか。

ピラミッドの視点で日本中の旅行企画を見てみなさい。しつらえたイベントに止まるものは、実に多い。


投稿者 wataridori : 01:31 | コメント (0)

2006年11月20日

人馬一体

古代ギリシャや中国、エジプトでこれをテーマに数多くの芸術品が生まれが。
「人馬一体」は芸術の世界でも、とくに彫刻において最高峰を意味している。

キャラバンの旅は、現代人に「人馬一体」の本当の意味を実感する機会が与えられる。
馬と一体になる時。 雲の上で疾走し、風を切る。真の喜びを感じる。
新たな可能性と希望が光る瞬間。 強欲さえ湧き上がる瞬間。
馬はHOPEとAMBITITIONだ。

投稿者 wataridori : 01:23 | コメント (0)

2006年11月18日

長らくタクラマカン砂漠・西域南路への憧憬 前書

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永久の道、永遠のシルクロード。
知れば知るほど興味深い交易路、帝王将相の夢・・・そして、旅の原点。

広漠な荒地を前に、私は漠然となった;
砂嵐が吹き荒らす時に、私は怖くなった;
荒廃した壮大な遺跡の前に、私はこれまでに何を得た、何を失ったか、のようなこと
を考えることさえできなくなった。
しかし、人々のリズミカルな、快い笑顔を見て、私はふたたび勇気を取り戻した。

人間って臆病なものなんだね。しかし、そんなことを恥じることはない。
苦難な道、それでも一歩一歩あるいてきた人を、たたえよ。

勇気、生まれつきのものじゃない。自分で鍛えるもの。
道、歩くものじゃない、模索するもの。

シルクロードの魂はなにか?人間が歴史を持つ時から、シルクロードは人間を所有し
ていた。 (続き・・・)


この文章を書くきっかけは、2006年の2月に実施する《タクラマカン砂漠縦断・マルコポーロルート》アドベンチャー企画である。多くの人にシルクロードの歴史・民俗を理解していただくため、毎週紹介していきたいと思います。順番は思いつきだが、内容として、《タジク人の婚礼》・《馬背上のカザフ人》・《カザフ人の由来》・《バインブルクのモンゴル人》・《シルクロードの衣装》・《パミール高原》・《楼蘭王国》(その発見と楼蘭美女)・《タクラマカン縦断の道》・《タリム川》・《カシュガルのバザ》・《ウルムチ》・《カシュガル》・《和田(玉)》・《国境》・《火焔山》・《トルファンの高昌古城》・《果物》・《カレーズ》・《タタールの少女》・《狩鷹》・《伊梨》・《ハミと魔鬼城》・《陽関と玉門関》・《シルクロード古道》・《クチャ》・《アイティン湖》・《新疆由来》・《新疆と中国》・《秋風五丈原》・《酒泉》・《西安》・《洛陽》・《徐州》《アルタイ山》などが予定しています。読みやすいように、文字を少なめに、写真などを入れます。どうぞ、お楽しみに。

投稿者 wataridori : 17:22 | コメント (0)

2006年11月15日

ホータンとカシュガルの日曜バザール ~原点の旅~

西域南路で旅した時、一番の驚きはバザールである。映画アラジンや古代の物語に出てくるような人やモノは、そこに、目の前にいること。西域の民にとってバザールは、単なる買い物の場所だけではない。週一度の集会でもある。ローバー車に家族を乗せ、鷹揚とした気分でバザールに向かう。シルクロードの路は、ポプラの並木路。並木の路以外は荒涼たるゴビ(なにもない荒野のこと)。バザールの日になると、路は高鳴るローバー車に満ちている。ハリウッドの壮大なj古代映画に立ち入るほどの臨場感がある。

バザールには、手作りの帽子やナイフなどはもちろん、馬や牛、そしてシルクロード特有の黒い足の羊も売買されている。因みに馬の相場は3000元だそうだ。日本円にすると、5万円前後。もちろん良い馬はもっと高い値段がつく。

現地のウィグルの人は、自分の手作りのものをそこで売り、そのお金で、自分の生活に必要なものを買って帰る。売る人は同時に買う人でもある。ゆえに、物々交換もしばしば行われる。時に、男同士でひそかに腕を握り合い、指で軽くタッチしたりする。それは値段交渉らしい。

そのやり取りは、あまりにも原始的で、時には可笑しく感じる。しかし、よく考えたら、それは商品経済の原点ではないだろうか。今日、私たちデパートで買い物する際に、品物はどこで作られ、どのルーツを沿って自分の手に入ったかのようなことは、ほとんど考えようもしなくなった。その間に商社もあれば、問屋もある、あまりにも複雑になってきて目をそらしはじめたのではないだろうか。

もう一度「原点」を見よう。

追記:

ほんの少し前の東京株式取引所がネット一本化する前、指と腕の合図で売買成立させていた頃の風景を思い出される。その良し悪しは言えないが、少なくとも、本来、ロマンのある人々のロマンを賭ける株式の世界は単なる機械的なビジネス的な乾いたやり取りに変わってしまい、人間はまたもひとつのロマンを失う。

投稿者 wataridori : 14:43 | コメント (0)

2006年11月13日

カザフ民族のあれこれ


 天山山脈、あるいはアルタイの森と草原、あるいはジュンガル盆地の荒漠、牧草さえあれば、自由のカザフ族の姿が見える。
 一年の間、草を追って、移動する。カザフ族は一生のほとんどを、馬の上で過ごしている。遊牧、大勢の馬、牛、羊、を追い駆けながら、潮のように道路、山谷に満ちる。ラクダの群れはテント、絨毯、そして女、子供を載せて、後ろに揺られる。
 カザフ族のもてなし。2歳くらいの馬を殺して、もっとも大切なお客をもてなす。時には羊の丸焼きや羊の煮込み(手抓羊、意味は手で食べる羊の料理)を出される。羊の中にヌードルを入れる時もある。その他、馬のミルクやバター茶など、毎日欠かせない。
 カザフ族は昔から寒冷な山地に住み、深夜まで酒を汲みながら唄を興じ、昼頃起き、放牧、とのような生活習慣がある。
 カザフの由来。文献の記載を調べたところ、カザフは古代の幾つ遊牧民族の混血だとわかった。6世紀頃アルタイ山脈北に興った突蕨漢国(トルコ系)の時、突蕨人と烏孫人混血、さらに10世紀から13世紀、天山山脈北のウィグル人とキタン人そしてモンゴル初期のナイマン族、チャゴタイ漢国のモンゴル人など混血、今のカザフ民族が形成された。
 カザフ民族はシルクロードの北路の伊梨からバリセン草原一帯に分布し、ウィグルに次ぐ人口が多い。

今年のキーワード、“ノマード”。ノマード、フランス語‘遊牧民、自由の民’の意味。去年からエルメスやBALLIなど主唱し、今後のファッション界のテーマにもなるだろう。自由の民への憧れは、ファッション界に留まることは、ない。

投稿者 wataridori : 13:58 | コメント (0)

2006年11月12日

さまよえる湖、そして楼蘭王国


タリム盆地の東には、変化万端の湖があり、ロプノール湖である。かの有名な楼蘭王国は湖の西北方位にあった。そこには人口が多く、貿易が盛んで、古代シルクロードの重要な存在だった。紀元4世紀、楼蘭王国は忽然と消え、7世紀に三蔵法師がそこを通過する時に、すでに黄沙に覆われた楼蘭の故地で、廃墟にすぎなかった。
YARDAN地形、楼蘭一帯の景観。YARDANは、ウィグル語では、険悪な砂丘という意味。この地形は河川の流れに浸食されて形成されたものと思われ、YARDANは、大昔、ここは草豊かなオアシスだと物語っている。
楼蘭はなぜ消えたのか、今でも謎である。推測では河川の流れが変わり水不足に陥ったことと、古代シルクロードは4世紀ころから、南のルートが次第に北のルートに取替えられたことが考えられる。20世紀始めのころ、ウィグルの人が無くした農業道具を探して、道に迷い偶然に古城遺跡を発見した。楼蘭古城は長さ330メートルほどの正方形に近い。
ウルムチにある新疆博物館の中に、楼蘭古城から発見した古代女性のミラがある。顔が小さく、目が大きく、眉毛が細長く、その数まではっきり数えられる。足には牛革で作られた靴を履き、静かに眠っているように見える。彼女の長い金髪を見て、華やかな少女であったに違いない。現代技術で検査したところ、彼女は地下で3800年もの間、眠っていたことがわかった。

余談となるが、私以前、友達に家族の想い、家の大切さを話したことがある。ある日その友達が、私に“その話を思い出す”と話してくれた時に、私は“さまよえる湖”で答えた経緯があった。時に現れ、また忽然と消える街は、人間の野望、欲望のように、ある時は気勢盛んになり、ある時、萎える。しかしロプノール、湖は彷徨えながらも、いつまでもそこにある。

私はその時、深いことをなにも考えずに、ただただ無意識に答えただけ・・

投稿者 wataridori : 14:07 | コメント (0)

2006年11月11日

パミール高原とタジク族の婚礼


カシュガルの西、中国、ギルギス、カザフスタン、インド、パキスタンの国境に、世界の屋根、パミール高原が広がっている。平均標高3000メートル以上、氷山が点在し、氷山の父と呼ばれる《ムシタコル》(海抜7546m)はそこにそびえている。
寒冷のパミール高原を家にするのは、タジク族。石の積み上げた家を住居にし、遊牧、農耕両方営む独特な民族。鷹の翼の骨から作った笛を愛し、鷹の踊りを興じる。
タジク人の結婚式は、新郎側は騎馬隊で新婦を迎えることから始まる。新婦を同じ馬に乗せて帰る。人々は祝福の意味を込めて、新郎新婦に小麦粉をかける。そして踊りを興じ、鷹の笛で伴奏する。時には、村の男たちは、ヤクに乗り、羊を奪い合うゲームをして結婚式を楽しむ。
タジク人は、日常生活では伝統的な中国の人民服に近いものを身につけている(写真)。しかし色は一般の中国のものより鮮やかで、高山民族の固有な色の感覚がうかがえる。偶然かもしれないが、去年からはPRADAなどファッションの女王達はタジク人の日常服に非常に近いファッションを作り、今年に入り、ほとんどすべてのBRANDがそれを真似て、東京の街にもその姿が多くなってきている。しかし、そのスタイルは辛抱強く、鉄のような意志の象徴であることは忘れないでほしい。

投稿者 wataridori : 14:09 | コメント (0)

2006年11月10日

シルクロード古道


西安を起点とし、祁連山脈の南(古来、河西走廊と呼ばれる地域)を沿って、西に進み、敦煌につく。これまで一本の道は敦煌で分かれる。西域南路では、西南方向に陽関を出て、ロプノール湖一帯500キロほど横断し、楼蘭国に辿り着く。ここまでは流動砂漠地帯であり、シルクロードのもっとも険悪なルートでもある。その西には、チャルクリク、チャルチャン(古代では且末国)、ニヤ(古代では精絶国)があり、漢代では、それらは万人未満の西域の小さい国だった。チャルクリクとチャルチャンの間では、南に隣接している崑崙山脈から流れてくる数多くの河に恵まれ、オアシスが続いている。さらに西に砂漠ゴビ地帯(私的に荒漠地帯と呼ぶ)を経て、于田、ホータン(古代では和田と呼ぶ)、ヤルカンド(古代では沙車国と呼ぶ)につく。ここで道はさらに二つに分かれる。ヤルカンドより北上し、カシュガル(古代では疏勤国)に出て、パミール高原を越え、“大月氏”(現在インド・パキスタン一帯)と通り抜け、安息(ペルシャ)に着く。ヤルカンドより西に向かい、“大月氏”、“ 安息”に入る道もあり、どの道もローマまでに通じる。そのルートは最も早くから国際交易路として使われ、2000年以上も前に金髪緑目の西方商人のキャラバン、それからその後の三蔵法師、マルコポーロもこの道に足跡お残している。しかしこのルートは険悪のため、中世以降は次第に衰え、北のルートが使われるようになる。

 西域北路では、敦煌より玉門関を出て、ハミへ。そこから北上し天山山脈を越え、バリセン草原(現在カザフ自治区)へ。そこから西へ道を進め、伊梨地方(現在伊寧市)で出る。さらに西に、イシル・シル湖を経て、サマルカンド(現在ウズベキスタン、後程「サマルカンド」の章を付け加える)へ往き、ルーマニア、ハンガリ、ローマに通じる。この道は、大草原が広がり、モンゴル草原にも通じ、古代では遊牧民が争う場所であり、古戦場の征鼓が今もなお聞こえてくる。北路では、古代の烽火台は道路の走行を示す。このルートは漢代に現れ、唐代から繁栄した。

 西域中路では、ハミから善繕へ、トルファン盆地の高倉古城(古代高倉国)、交河古城に入る。そして天山山脈南麗、タリム河を沿って西に向かい、コルラ(古代亀滋国)、輪台、クチャ(古代庫車国)、アクス(阿克蘇)疏勤など歴史上の名城を経て、カシュガルに達す。このルートは仏教伝来の道であり、現在鉄道が作られ、もっとも栄えている道でもある。クチャとカシュガルのバザ-ルの賑わいから当時の繁盛を伺える。

投稿者 wataridori : 14:11 | コメント (0)