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2006年09月30日

カザフ人の祭り

カザフのまつり

《奪羊祭》
 祝日あるいは結婚式の時、カザフ族は伝統的な馬上の試合を行う。日本語にないため、私は《奪羊祭》と名前をつける。力と知恵、そして馬上の技量を競う試合である。
 試合開始時、頭を切り落とされた羊が投げられる。騎手達は二つのチームに分かれ、投げられた羊を拾うために突進する。羊を地面から拾った人は、目的地に向かってひた走る。相手チームの人は懸命に追っかけ、奪い取ろうとする。見方のチームは懸命に守る。そうなると、羊は時にバスケットボールのように空中に投げられ、時に分解されそうに奪い取られ、どちらも譲らない。馬は、狂うように走り、駆ける。最終的に、指定した場所に、羊を届けたチームの勝利となる。

《少女追》
 一般的に夏に行われ、情意に満ちている行事だ。一つのチームから年齢18歳くらいの女の子が選ばれ、もう一つのチームは男の人が参加する。それぞれ馬に乗って、遠い彼方に歩いていく。その間に、男の人の方は女の子に対して、どんなに挑発的な、ふざけた話をしても、たとえ愛しい気持ちを伝えても、女の子は怒ってはいけない。顔が真っ赤になっても、黙って聞くのがルール。しかし、終点について折り帰す時は、状況は一変する。女の子は“復讐”し始め、鞭で追っかける。男の人は鞭の仕打ちから逃げるため、ひたすら出発地に向かって走る。その時、女の子が照れたように軽く鞭を男の人に当てたり、わざと当てずに空振りしたりしていたら、女の子は男の人を気に入っているということなのだ、きっと。

奔流中国のトップページから「映像」というボタンをクリックすると、その映像を見ることができます。

 私は初めて《奪羊祭》に参加したのは、蒼々シルクロードの引率でセリム湖へ行った時だった。試合の前、まず儀式が始まる。カザフの伝統的な楽器の演奏が始まる。悲しそうなメロディーの中に鷹揚とした力が隠されているようだ。その間に、羊が殺される。おそらく羊は草原の民にとって大切なものなので、そのための儀式だと思う。試合は一時間ほど続いた。羊が渡された時、思った以上重かった。途中何回か、片手でどうしても持てなくなってさっさと人に渡してしまう。私と同じチームの18歳の少年は何事もないように羊を持ちながら走っている。その姿には頭を下げざるを得なかった。

 一番の不思議は、私たちセリム湖に行ったのは特に祭りの日ではなかった。私はスタッフの馬飼いのお兄さんたちに、“そのゲームをやってみたいね”と雑談していたら、やりましょうって返事が返ってきた。しかし、馬飼いは5人しかいない。私を入れても6人。周りを見渡して地平線まで一面の荒野で、人の影も見えない。しかし、その30分後に、何十人ものカザフ人が知らず間に集まってきた。一体あなた達どこからやって来ただろう。

 残念のことに、《少女追》に参加したことは、まだ一度もない。

投稿者 wataridori : 13:08 | コメント (0)

2006年09月29日

キャラバンの移動は気持ちの移動

去年のキャラバンのことを思い出す。
第5陣の時、二日目は45キロの行程を移動することとなる。
夕方、草原は次第と広がり、遠くに山脈の微かな青が見える。
その時、私は参加者に、
“あの山脈を越えれば、今日の目的地にたどり着くよ”と言った。

その日の宿泊地は、実は山脈手前にあった。
馬から下りて皆からキャラバンと馬について感想を聞く時に、
一人の女性大学性が泣いた。
“もし、張さんは山脈を越えると言っていなければ、私はここまで絶対来られなった。
気持ちは山脈を越えようとしたので、ここまで我慢できた”と答えた。

私はその言葉に感謝する。
理解してくれる人がいるとは期待していないだけに。

キャラバンの移動は気持ちの移動でもある。

それだけではない。
夢はついにリアルな世界へ。
期待と興奮から静かなる心の鼓動へと。
苦しみの時を乗り越え、うれしい涙と大きな喜びへと。
次第に広がる草原は、馬も人間も興奮し、激動し、
遥かなる夢は果てしない野望に導く。

投稿者 wataridori : 02:00 | コメント (0)

2006年09月24日

張宇の七匹の駿馬

前も触れたが、キャラバンの時、私はいつも3頭以上自分用の馬を連れて行く。

世話のため前後走るため、実際走る距離は参加者の倍ほどある。馬が疲れないようにするための交替馬である。また、いざという時につねに素早く動けないといけない、とくに駆け足の時、先頭の馬に追いつかなくてはいけない。

この集合写真はそれらを撮っている。ここで、私の7頭の馬の性格と特徴を話そう。この文章を通して、馬は一頭一頭違うことを理解してもらえたらと願いつつ・・・

★宝馬

3年前に初めてこの馬に乗った時、なにも怖がらず、大きな溝でもジャンプしていくため、飼い主は「宝馬」と偶然に呼んだことから由来している。因みに、BMWを中国語に訳すと、「宝馬」となるので、日本の友人には「BM」と話している。

この馬はまさに飛行機のエンジンを車に積め間違えた感じて、走り始めたら、止まろうとしない。走らないように押さえていたら、ちょっと油断すると、ジャンプしていく。狭いところや、道の状況をはっきりしないところでは、とても乗れない。力ない時も乗れない。ただ、気持ちが沈んでいる時は、最高の治療薬。すべて忘れて、雲に乗っている感じ。参加者の中にそれを乗れる人はまだいない。誰が乗ってもおなじように走ってしまいそう、止めることができないからだ。

そういえば、その馬を巧みに止める方法をソレモンさんから教わって(見ていて)、その方法は他の馬を止める時にもよく使う。その馬のおかげで自分の中のちょっとした進歩につながった。やはり荒い馬は人を育つ。

★奔駈

穏やかに安定して走る馬。体も非常にバランスがよく、色が輝いて、美しい馬。スピードが一番早く、安定性がよいため、「奔駈」と名づけられたが、偶然にもドイツのベンツの中国名と同じで、日本の友人にはあっさりと「ベンツ」と紹介している。競馬の際、確実に一位を取りたい時はベンツに乗りかえる。

参加者にも乗らせるのだが、それをうまく操れた人は今まで一人だけだった。「奔駈」は人を選ぶ。乗れなさそうな人は、速く走ってくれない。しかし乗り心地のよさにしろ、安定性にしろ、それに勝るものがない。しかし、万が一調子に乗って走ってしまったら、彼を止めに行けるほど追いつく馬がいないため、以前参加者を乗せる場合、遊牧民スタッフの半分をそれに当てる。「疾走する前に止めてやれ!」ということ。

五陣の最後、足を怪我して、一緒に帰れなく、6陣にも来られなかったのはとても残念だった。だから僕の今年の愛馬の集合写真の中に彼だけはいない。

★蒙字

尻に焼きついたモンゴル文字から由来しているが、赤い輝きを出す馬で、性格も掴めようがなく、友人には、イタリアの名車、「Ferrari」と紹介している。4年前に最高の走りを見せてくれたが、最近怠けている。群れの先頭に行ったら、急に群れに戻るクセがついてしまって、時には90度急に曲がるので、恐ろしい。参加者の人は乗ると、意外と走らないため、たまには参加者も乗っている。ただ、上手な人には乗せられない。うまい人が乗ると止められないからだ。

★商神 (別称:黄豹)

一言、豹のように走る馬。見かけは若干体が大きい以外はとてもちっぼけだが、鞍を着けて人が乗ると、素晴らしい走りを見せてくれる。最近、ベースキャンプ付近の競馬では1500メートルの一位を獲得した。それをうまく操れる人は、飼い主と私だけだった。

今年は主にそれを乗っていて、一瞬で「駿歩」(駆け足よりも早いリズム)になれるため、疾走するか、止めるかの素晴らしい思い出が残った。

彼を止めるにはコツがあって、タイミングが重要。3陣では、スタッフの伊波君に乗せて、なんとか乗れるようになったが、まだ思うとおりに止められなかったようで、競馬の時は、別の馬に乗りかえてもらったので、心の中にちょっとした申し訳ない気持ちが残る。しかし、次の4陣で、私がそれを乗った時、調子が狂ったようで、まっすぐに車にぶつかり、私をぎりぎり大事故に合わせたことを思えば、競馬の時に乗らせなくてよかったと思った。

★佐羅 (ゾロ))

南米の英雄のゾロの名前に因んで、名づけた。剽悍で、たくましい馬。今年手に入れた馬で、それまでは長距離に適していて、短距離で素早い加速はまだいまいち。広い草原へ行けば行くほど、実力を見せてくれるので、来年はとても楽しみだ。

彼の飼い主は私の親友で、とても馬好きなモンゴル青年。名前は難しく覚えられないが、通称「老二」、兄弟の中で2番目ということ。性格も自由奔放で、ベースキャンプのダライの気に入らなく、スタッフというより、私が友人としてつれてきているのだ。

★洛神

一見唐の三蔵法師が乗っている「白竜馬」のように穏やかだが、乗れる人が乗ると、実力発揮してくれる(因みに乗れない人が乗ると、ゆっくりと走る)。顔つきがとても美しく、ある意味で、秦の始皇帝の兵馬庸の中の古代の戦馬と同じ顔つきをしているのだ。3年ぶりに白い愛馬を見つけた。3人の参加者に乗せたが、走らせることのできる人はまだいない。止めるにはさほど困難じゃないので、来年こそ自分の友人やスタッフの人に乗らせたいなとつくづく思う今頃。

★無名

スピードと言えば一番早いだろう。走りが安定していて、止めやすいため、今年はいつも参加者の中の達者(或いは上達した人)に乗ってもらった。それを乗った人は、2陣の大チャン、3陣の蘇君、4陣のスタッフの朝倉君と5陣の尚舞君。6陣は残念ながら彼を乗れる人はいなかった。


私は旅の後半になるとどうしても、心も体も疲れてくる。ゆえに、馬の荒々しさによって、自分の中の情熱を引き出し、疲れを知らずにキャラバン中の“自分しかできないこと”をこなして行く。

なので、荒い馬、若干止めにくい馬が好きになる。そういう意味で、今年、彼はおとなしすぎで、物足りない感じだった。だけど、普通の言う良い馬というのは、このような馬のことを指している。

皆さんは、よい馬とはなにか、自分にとってどんな馬が一番よかったのか振り返って考えてみよう。

投稿者 wataridori : 03:45 | コメント (0)

2006年09月23日

旅の追憶④ 

乗馬の安全管理は、まず馬選びから始まる。

運動神経のあまり良くない人、心細い人が、荒い馬に乗ってしまったら、すぐにも落馬する恐れがある。
逆に運動神経がよく、大胆な人には、おとなしい馬に乗ってしまったら、物足りなさで、油断してしまうかもしれない。

馬を見分ける。また、人間を見抜ける。

それができなければ、乗馬指導者、乗馬ツアーの引率者としては失格だと思う。

2005年のこと。2陣と3陣は草原で一日重ねたので、私は2陣の4日目の乗馬終了後に、3陣の初日の乗馬体験に臨もうとした。両方の距離は80キロ離れている。

途中私のサイドカーの故障で、予定時刻より若干遅れたので、私は3陣のガイドに「私が到着しないと出発しないように」伝えた。初日の馬選びは重要と考えたから。

あまりにも遅れそうで、暗くなりそうなので、ガイドから「並足だけで、出発してもいいですか」と何度も指示願いの電話がかかってきた。出発をあまりにも遅らせると、参加者も文句出るだろうと思って、やむなくガイドに出発許可を下した。

結果は大変なことになった。私が到着後、並足から早足にステップアップした瞬間に、4人も群れから離れ遠くにいってしまった。なんとか止めたが、相当緊張走った。理由は、馬が荒過ぎではない。受身の参加者は、走りがっちの馬に乗ってしまったからだ。乗り手と馬は合わなかった。

ちなみに、2005年の3陣以外、2004年、2006年のキャラバンではこのような緊張は一度もなかった。

投稿者 wataridori : 03:20 | コメント (0)

旅の追憶④ 

乗馬の安全管理は、まず馬選びから始まる。

運動神経のあまり良くない人、心細い人が、荒い馬に乗ってしまったら、すぐにも落馬する恐れがある。
逆に運動神経がよく、大胆な人には、おとなしい馬に乗ってしまったら、物足りなさで、油断してしまうかもしれない。

馬を見分ける。また、人間を見抜ける。

それができなければ、乗馬指導者、乗馬ツアーの引率者としては失格だと思う。

2005年のこと。2陣と3陣は草原で一日重ねたので、私は2陣の4日目の乗馬終了後に、3陣の初日の乗馬体験に臨もうとした。両方の距離は80キロ離れている。

途中私のサイドカーの故障で、予定時刻より若干遅れたので、私は3陣のガイドに「私が到着しないと出発しないように」伝えた。初日の馬選びは重要と考えたから。

あまりにも遅れそうで、暗くなりそうなので、ガイドから「並足だけで、出発してもいいですか」と何度も指示願いの電話がかかってきた。出発をあまりにも遅らせると、参加者も文句出るだろうと思って、やむなくガイドに出発許可を下した。

結果は大変なことになった。私が到着後、並足から早足にステップアップした瞬間に、4人も群れから離れ遠くにいってしまった。なんとか止めたが、相当緊張走った。理由は、馬が荒過ぎではない。受身の参加者は、走りがっちの馬に乗ってしまったからだ。乗り手と馬は合わなかった。

ちなみに、2005年の3陣以外、2004年、2006年のキャラバンではこのような緊張は一度もなかった。

投稿者 wataridori : 03:20 | コメント (0)

2006年09月19日

モンゴルで日本の乗馬上級者たちと競馬

草原二日目、日本の乗馬上級者たちと出会えた。
20人ほどの団体で、年齢が20代後半から60歳までの乗馬達者たち。
服装などを見ても一目で、乗馬のプロだとわかる。

--

世話する二人の遊牧民スタッフは、4年前から「奔流」のスタッフで、
偶々そちらに徴用された。僕とはとっくに親交が深かった。

女性のガイドも、「奔流」がキャラバンの形になったその年のガイドで、
モンゴルの女流ガイドの中で(男女問わず)、わずかながら馬の乗れる方だった。

彼女は初めて僕に会った時、驚いたようだった。
内モンゴルの旅行会社の中では、奔流の旅は有名で、
彼女の中で、張宇という人はきっと背が高く、凄まじい人だと思っていたらしく、
最初、相当私を見くびった(想像と違ったので)。

しかし、キャラバン始まると、自分の乗れなかった馬を私に乗ってもらったり、
「乾杯」などの日本の曲をならったり、何より、「奔流」のような本当にモンゴルに根付いて、
モンゴル人に誇りを感じれるツアーを彼女にとって初めてで、また、企画者で乗馬ツアーの
陣頭指揮できる人は、見たことがなかったようだった。
以来、二年間ほど、夏の奔流のスタッフとなり、お互いに一番信頼できる人ともなった。

--

それもあって、そちらの日本の乗馬上級者の団体と会った時、最初から親しみがあった。
実は彼らは三日間でやっと、私たち一日の行程と同じ場所にたどり着いた。
移動が遅いではなく、草原でぐるぐる回っているだけだった。もちろんお客さん達は知らない。
その理由は後で話そう。

ちょっと会話を交わしただけで、そちらのお客さんたちはどうやら、
私がこのようなキャラバンツアーを最初始めた人だと察知したらしく(さすがプロだ)、
競馬を挑まれた。

私も当然喜ぶわけで、次の日午前中に、「大蘇吉」という町にいく途中の山の麓で会おう、
と約束した。非常にアバウトな約束だが、古代の人々はきっとそうだったと思うと、
わくわくしてくる。もっとも草原ではその方がある意味で賢いとは思うが。

次の日、私たちは細いわき道を抜けようとする時間に合わせたかのように、
彼らは、砂塵を巻き上げ、南の方角から現れた。
草原に暮らしていると、目が鋭くなる。
彼らも早くも我が奔流乗馬隊の存在を気付いたらしい。
ちょうど一面の平らの草原あたりで遭遇できた。

競馬の前、彼らの中にこのような会話が聞こえる。
"この全員、張さんに負けたらいけないな~”、“負けるな”
けれど、僕の中に自信があった。
彼らの中にそこまでのいい馬がいないと見てわかった。
奔流参加者の一割ほど彼らの乗っている馬よりも早いはずだ。
つまり、遊牧民しか乗れないような荒い馬が一頭もいないわけだ。
それなら、一人勝ちでは、どうも恥ずかしいので、こちらの遊牧民スタッフも二人参戦させた。
奔流の参加者は、この段階でまだ競馬のスピード体験できていないし、
競馬の荒々しさも慣れていないので、一人も参加させなかった。

彼らは現地の馬のクセなど知らないと見て、始める前、自分の団員のように、
点検と助言を行なった。
たとえば、休憩の馬の群れはゴールの右側にいるので、馬がゴールについたら、
急に群れに突っ込むかも、など。
それに、万が一のため、私と私のスタッフ3人、一番右の方に並べた。

いざスタート!
遊牧民スタッフの一人がスタートすばやかった。
本来、私は日本の愛好者たちに先頭で走り、最後で勝負を持ち込むかと思ったが、
このままでは、遊牧民スタッフに一位取られる。
そうしたら、本能的に、先頭を追っかけ始めた。
途中気付いたのだが、日本の愛好者たちと相当距離を置いてきた。
我々は全速で走るべきじゃなかった。

結果はこちらの三人の圧勝だった。
しかし、自分の中では苦しかった。つまり彼らは惨敗だったということになる。
恥をかかせたことになる。
予測通り、日本の愛好者たちはそんな顔つきだった。

そこで、彼らは初日の場所に戻り、我々は旅路を続ける。
しばらくの間、僕はずっと競馬のことを頭から離れなかった。
自分がわるいことをしたjかのように感じ始めた。

結局、団体が並足しかいけない道に入ってから、
僕は一人の遊牧民スタッフを連れて、彼らを追っかけた。
駆け足10分ほどすると、彼らを発見した。
大草原の中で、彼らもすぐ私達追っかけてきたことを気付いて、待ってくれた。

僕は馬を下りて、「俺の馬を乗って見なさい、本当のモンゴル馬を!」と言った。
そうしたら、彼らの中、一番年長で、また一番達者そうなおじいさんが、
「私が乗ります」と返事した。
「この馬は何段階で止めなくては」と私が言い添えた。それ以上のことは言う必要がない
と感じた。

その方は、老年にもかかわらず、まったく怖からずに、馬を飛ばして、彼方に向かった。
帰ってきた時に「素晴らしい、素晴らしい」の連発だった。
その後、私は他の何人かと言葉を交わした。たとえば、本当の汗血馬はどこにいるのか、とか。
僕は彼らを後にした時は、お互いにいい印象を残した自信があった。

僕は彼らに本当のモンゴル馬を乗ってほしかった。
そしてモンゴル馬の素晴らしさを知ってほしかった。それは達成した。

--

午後我々の進む道はあまりにも壮大で、僕はまた悲しくなった。
何十年も日本で乗馬をやっていた達者の人たちに案内したかった。

彼らはここまでこられない理由は、観光設備がないというわけで、しかし、それだけ
乗馬を愛している人たちなら、奔流の設備でも来てほしかった。

彼らは確かに草原で走りまくったけれど、目的地がなく、走っているだけだった。

彼らは4日間で、我々一日の行程しか進んでいない理由は、
食事を運んだり、生活の面々、そして馬の帰りなどすべて面倒見れる人がいなかったためだ。

彼らは本当のモンゴル馬を乗れなかった理由は、たとえ日本で2,3十万円を払ったとしても、
結局遊牧民の手元に我々と変わらない料金しか入らないためだった。
そうしたら、遊牧民は当然、自分の愛馬に乗せたくない。一つは乗れる人ほど馬が疲れる。
二つに、早い馬は大抵どこか気性が荒く、止めにくい。
僕がいれば、その人のレベルに合わせて、馬のクセと注意点を教えてあげれば
乗れなくはないが、そちらは、当然だけど、僕のような現地と馬に通じる人はいない。
僕がいれば、こんな達者なら一人2頭の馬を与え、国境まで走ってもらいたい。
もっとも、僕自身はキャラバンの時に、馬が疲れないように、いつも3頭の愛馬を連れて行くのだ。
だから、競馬でも、彼らが勝てるはずはなかった。


その日は私にとって、新たな道のりを始める日になった。私のキャラバンをこのような世界中の
達者に知ってもらい、彼らにもキャラバンの日々を過ごしてもらうと心の中で決めた。
彼らは今までの若い大学生の参加者より、「馬への情熱」という意味で、
もっとこのキャラバンの価値を理解できる人達のはずだ。

投稿者 wataridori : 03:18 | コメント (0)