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2006年01月28日
映画「HERO」
映画「HERO」は私が何度も観ることになった。家族も中国の友人も、日本の友人も、この映画よく分からないという。その都度、無理やりでも付き添って見せた。この映画ほど、中国の歴史の壮大さと奥深さを訴えた映画がないからだ。
「HERO」が描く時代は紀元前220年余。西欧ではローマが地中海周辺全域へ領土を広げ大ローマ帝国の礎を固めつつあった時期だ。そして中国大陸では、始皇帝が、天下統一に向け、覇権を争ってきた他の六カ国を滅そうとした。中国の春秋戦国時代末期である。
「HERO」は始皇帝を名のる秦の国王・政と、彼の命を狙う刺客たちの物語である。監督は鋭い視角で
崇高な忠誠心と崇高な謀反、愛と嫉妬との対立が物語りを織り成し、救国のテーマを浮かび上がらせて、真のヒーローの意味を問う。たとえば、刺客の名を「無名」。
無名であることはとても意味深い気がする。歴史を動かすのは有名な人物による有名な事件なのだろうか。いやむしろ、名もなく記録にも残らない人々の希望や期待こそが歴史を推し進めるものなのではないか。このヒーローは「無名」の大衆の願いを一身に担う存在だからその名も無名なのだ。
ジェット・リーはかつて、チャン・イーモウが構想した映画「ヒーロー」の核心についてこう語った。
「伝統的な武侠アクションの主人公というのは、たとえば修業にうち込んで、それから山をおりて復讐を始めるという直線的な人物です。しかし、この作品「HERO」には敵(かたき)はいません。敵も悪役も描かれないのです。登場人物の一人ひとりが、それぞれの立場から相手を見る、その視角からの世界が描かれてゆくのです。無名という男は、闘うこと、その相手と技を交わすことによって、相手を倒すという次元を超えようとします。力によって相手をただ圧倒しようとするのではなく、闘いを通して関係の奥底、背後にあるべきものをつかもうとするのです。相手の精神世界を理解しようとすることが無名という男の精神です。私はそのことを意識して、無名という人物を演じました。これは東洋世界の広大な歴史から生まれた精神のあり方でしょう。我々が西洋を理解しようとつとめるように、西洋の人々にも、この作品を通して東洋の精神に触れてほしいと願っています」
「HERO」を理解するには、まず中国古代からの行動原理「侠」という概念に触れたい。「HERO」の中では、侠という概念を清らかな人物像と強く美しい映像で遺憾なく解釈した。
たとえば、「長空」の人物像。友情も感傷もすべて内に封じ込め、“義”の前には顔色ひとつ変えずに自らの命をも捧げる孤高な刺客。「無名」の場合、静謐で、覚悟をはらんだ名を持つ剣の達人。胸にあるのはただ一つ、自らに課した使命のみ。「残剣」の場合、書道を通じて剣術をきわめ、名誉や金銭のためでなく、放浪の途で出会った侠女飛雪を捨身的に助ける。とても豪胆で、神秘的である。また、「始皇帝」の場合、私欲のためでなく、天下統一という理想を胸に。悲哀と寛大、それはたとえ己に害を及ぼす人にも。
「侠」という概念。そこで強烈なほど観る人に衝撃を与えたのは、強く美しいアクション、息を呑むほどの衣装、色、風景以外に、東洋ならではのものに着目している。
例えば、剣と書。「HERO」の残剣は、書道の達人にして剣の達人である。書法と剣法の奥義は相通ず――このような概念は、武侠の世界ではまったく違和感がない。日本にも、書画をよくした宮本武蔵のような超一流の剣豪が存在し、武道の奥義は武道に止まらず時代や国にもものを啓発する力を持つ。
また例えば、東洋的な音。棋館の中庭で剣と槍を構えて対峙する最初の決闘画面、長空vs無名。。頭の中では将棋の棋士が手を先読みするように、相手の技を読んで激しい戦いをイメージしているという心理的なバトルを映像化する。くわえて、静を表す琴の音と、京劇の武将の激しさを表す音が織りなす、いかにも東洋的な詩情をたたえた映像に唖然とするしかない。
さらに登場人物の淡々とした言葉の中に、壮大な歴史を思わせる力があった。その一つ、文字について。戦国時代では諸国が違う書体を使っていた。始皇帝は、六国を滅ぼし天下統一した後、このような複雑な異なる文字を廃し文字を一種にした。それも、真のヒーローとは何か、中国とはなにか、その深遠なテーマ性も見所の一つではないだろうか。
投稿者 wataridori : 23:50 | コメント (0)
2006年01月27日
国際映画祭について思う
欧米の人たちはどんな目でアジア映画を見るのかということを、何気なく考えてみた。
張藝謀(チャン・イーモウ)監督は、“成熟した藝術”と“鮮やかな民族文化(ハリウッドと歴然と異なるもの)”が、国際映画祭での成功の要素、と語った。
欧米の映画観客は、異文化に対して理解が少ない中、ローカルの映画人たちが積極的に提供してくれた文化藝術情報を信じるほかない。
“民族文化”を訴える映画は斬新かつ異端的な民俗文化の映像を提供することに熱心でなければいけない。ところが、欧米の映画観客はむしろ、このような人為的に作り出した映像神話を喜んで受け入れようとする。欧米の映画観客にとって、国際映画祭は単純な娯楽だけでなく、ある種の藝術観覧でもあり、また自己優越感の再確認でもある。
投稿者 wataridori : 21:30 | コメント (0)
2006年01月24日
包容力と情熱のある旅、それは奔流
この頃、‘デザインナーズ’という文字をよく見かける。
しかし、ある大手旅行会社が出したトラベルデザインという言葉に頭を抱える。
憧れで旅へゆく。戸惑いで旅へゆく。
本来そのはずだが、
自分のしたいことまで人にデザインしてもらうなら、
そもそも行かない方が、よい。
旅のデザインナーとして、僕は
人の旅をデザインするのではなく、自分の旅をデザインして、情熱的に旅をする。
人は皆違うことが考えるからだ。
人々に共感してもらうには、
感覚を磨かなくては。
情熱的でなくては。
包容力のあるプランを生み出さなくては。
張 宇
投稿者 wataridori : 16:08 | コメント (0)
2006年01月18日
ライブドア
以前、私の友人が私のところにライブドアへ就職することについての相談をしにやってきた。私は、「あのトップは経営者の恥・・・経営者は大なり、小なり、情熱を持つ人たちだよ」と淡々と言った。彼女は私の言葉に驚いたようだった。堀江はそれまで彼の中で‘憧れのヒーロー’だった。
どうして情熱がなかったというのか?私が思うに、経営者の情熱には、理念とポリシー、人間としての生き方、善と悪、愛と憎みが映るものである。
経営者は事業を成功して、社会貢献につながれば、自然と社会に注目され、ヒーローに躍り出る。しかし日本放送をめぐるフジテレビとの丁々発止など一連はどだろう?「社会を騒ぎ、社会が騒ぎ出されれば、己のビジネスに拍車をかける」のようなホリエモン的な思惑が、経営経験のある人間ならだれでも見え透ているはずだ。
アイディアがある。しかし、明確なビジョンがなに一つも言えないのはなぜだろうか。経営者のアイディアとは、先にビジョンがあってからのアイディアで、インチキなものではない。
「彼には文明があるが、文化がない」とある人は指摘した覚えがある。
それでも誉めすぎたと思う。文明の持つ経営者は、ソフトバンクの孫社長のような確固たる信念とはっきりとしたビジョンを持ち、それに四苦八苦時代の担い手としての責任を背負う人たちのことである。
確かに若い世代の中では、ホリエモンは漫画的なキャラクター性から、時代のパイニアに思われ傾向が
ある。
私もちょうど大学4年で事業を立ち上げ、株式の取引も大学4年からはじめたのですが、日本経済の混迷やインターネットのバブルに翻弄され、株式の華と落とし穴の両方身をもって体験した。株に手を出す人は本来、性格やリスクに対する考え方の違いがあって、そこで宿命的なものがある。しかし現代の若い人たちは、煽られて乗り乗り投資している姿は憂鬱にしか思えない。株を手につけば人生が変わるという自覚があるだろうか。
とくに、株式を裏でインチキに操作している張本人が、人に株を勧めるのはいかなる心構えしているかは、私は疑問に思う。
ベンチャー精神の高揚にホリエモンも功があるという人たちもいるが、経営者の人たちから見れば、違う風に見える。なぜなら、情熱あってからのベンチャー、ということを忘れてはいけない。経営者たるものは金儲けのためだけではない。情熱が涌いていないのに、「お前も事業を立ち上げて、大金を儲けなさい」というのは、無責任にしか思えない。
ライブドア騒ぎの背景には、バブル崩壊後の一九九〇年代は、破たんや不祥事が相次ぎ、日本型の経営手法に批判が集まった経緯がある。代わって注目されたのは、株主価値に重きを置く米国型の価値観。米国型の価値観を否定するつもりはないが(欧米社会ではうまく機能している)、その歴史背景、文化と深層意識を考えずに、米国型の価値観のうち、利益重視の部分だけが強調される状況には疑問を感じる。
まして株主利益でなく、己の利益だけに奔走するのは、時代錯誤よりは、心の混迷の時代というしかない。
市場のルールの網の目をくぐって成長につなげる経営手法の中に、価値観の先駆けや、旧来の制度への挑戦のような情熱のケカラも見えない。
皮肉なことに、小泉がホリエモンを選挙に立てたこと。若い人はともかく、政治家なら、ホリエンモンの本質は前から分かっているはずだ。なのに、「知るすべはない、好青年」だとかで片付けようとする姿勢に、誠実に思えない。あるいは、政治家として自ら政治の惨めさを物語っているかもしれない。
思いやりからこのようなホリエモン批判は、決して風雲児が駆け落ちる時に書きたくはない。が、若い人の心が揺らぐこの時代に、偶像崩壊の躊躇と失望感を思えば、つい筆を執ることにした。そもそもはホリエモンが騒ぎ立てた煙に君の若い目が覆われているような気がする。事業家の魂と情熱の塊で地道に時代をリードしている経営者たちは、昔も今もいる。
2006年1月 張 宇
投稿者 wataridori : 11:11 | コメント (0)
2006年01月07日
私の大学生活
自分の世話を自分でし、政府や援助に頼ろうもせず、自立する。学ぶ立場と教える立場両方から日本を見、謙虚さを学び、また日本の良きものを誇りをもって世界に見せたい。学問に打ち込めなかったが、母親の愛を報いるため、人材派遣や投資を始め、世界を視野に入れた。
「自立、プライド、そして愛」
私は来日の次の年、東工大に受かり、工学部の制御システム学科に入りました。その時に知っていたのは、中国からの留学生で一番優秀な人たちが東工大に集まったこと。なぜかというと、日本の受験科目が中国より少なく、また統一試験より各学校独自の試験の方がはるかに難しいです。中国では統一試験のみで、難易度で考えたら、日本の統一試験の倍くらいではないでしょうか。中国の高校の物理と化学は日本よりはるかに難しく、数学は日本より簡単です。(微積分と線形台数がない)、しかし、日本の国立の大学の入試試験に出てきます。また、英語は学校によってレベル高く、全体的に言うと、高卒より、中国の大学で1年、2年中退した学生には一番有利です。私は幸いのことに、高校時代に物理・化学のコンテストでも一等賞をとったり、英語にも嵌った時期があって、中国の大学院入試レベルの試験にも合格していたので、相当自信がありました。それで、東工大に合格できたが、私より上位の人は7名ほどもいます。因みに私の入試成績は東京大学に進学できたら、一番になるはずです。しかし、東大の場合、高卒2年以内でないと、受けられません。私はいろいろ事情があって、本当は2年で高校を終わらせて来日したのですが、卒業証書は高校1年目取ってしまったのです。(だから早くも留学の手続き申請が可能だったわけです)
しかし、東工大のはじめの年は奨学金が得られなく、相当悔しい思いをしました。本来優秀な学生に与えるべき奨学金は、日本政府はだれでも苦しまないように、成績や学校のレベルを考えずに平均的に奨学金を与えています。もしかして、強い人はなんとか生きていけるだろうのような考えは政府にあったかもしれません。その時から皆平等という考えに疑問を抱き始めたのです。その反抗からか、私はその後、誰にも頼ろうともせず、お金は自分で稼ぐものだと心の中に決めました。それは今の自分の生き方にも影響しています。
アルバイトは、 駅のホーム要員として早朝働いたり、指圧の店で働いたり、周7つのバイトも入れて いました。地下鉄サリン事件の時は、永田町で朝の掃除のバイトをしていました。僕は平日の朝9時から、夕方の6時まではほぼ学校にいるため、周りの人からは私がバイトしていないように思われましたが、朝・夜・週末で、当時月20万円以上も稼いでいました。
中でも気に入ったバイトは、東急電鉄の田園調布駅のホーム要員の仕事。鉄道は日本の心臓部のようなものです。自分にとっては、普通の留学生がするようなバイト(簡単なもの、あるいは留学生ならではの翻訳)ではなく、日本の心臓部で日本人と同じ仕事ができたことに意味があったのです。東急電鉄の制服を着て、帽子を被ってホームで込む時にお客を案内したりしていたのですが、私は時にわざと、第二次大戦中のドイツ将軍のように帽子を斜めに被っていました。
自分に大きなプライドと自信を付けてくれたのは、東工大での中国語講座。ある偉い先生が自主開講した講座で、実際教鞭をとったのは私でした。4年間で語学だけでなく、中国事情なども教えて、学部生はもちろん、外部の学生や教職員、博士課程の方など皆参加可能な講座で、時に100人を越える大盛況でした。明学やICUなど1時間半以上も遠くから駆けて来る学生もいて、自分の学校の授業より何倍も面白いと皆話していました。それも当然で、遠くから来ている人がいるために、有意義に時間を過ごしてもらわないと、自分が申し訳ない気持ちになるし、受講生の年齢や目的が様々なのですべての人に楽しんでもらうように工夫しなければならなかったため、大学の先生のようにのんきにはいられなかったのです。僕にとってはそれは仕事やバイトというより、日本を知る貴重な機会でした。それまでは日本を学ぶという視点で日本を見ていたのですが、今度日本に教える、という二つの立場で同時に日本を見ることができました。最近、米国的価値観が日本に浸透してきたが、日本人の中に根付いているのは東洋的な考えであって、米国的な価値観は日本で行き詰るはずだと今でも確信しています。日本人はもっと誇りを持って、日本の良きものを世界に見せなくてはいけないと思います。
最近の留学生は、親の送金で暮らす人もいるでしょうけれど、当時私のような留学生は日本で稼ぎ、生計を立てるのが当然でした。それで日本の学生よりハングリー精神が強かったと思います。未熟ではあるのですが、社会と真剣に向き合います。大学3年の時にたまたま技術者派遣のビジネスを始め、以来、中国へのスタディツアー企画や、日米中への株式投資 コンサルティングなど手がけ始めました。学生では信じられない収入を稼げている一方で、お金を使う暇がなく、生活費は月2万円ほどしかかかりませんでした。奨学金にもちっとも興味がありませんでした(おそらく奨学金の悩みを凌駕できる留学生はそういないと思います)。政府や援助に頼ろうとしない生き方はその時に確立したと振り返って、そう思いました。日本(での生活)は私を育ててくれたと思います。
また、若さゆえのプライドもあって、その時は友人の親の手伝いをして、最後お礼を渡されたときに、私はどうしても受け取らなかったのです。私の中に、一度でも私を助けた人は、私は恩返しのために何でもやってあげたいという信条があったからです。またもうひとつ、お金は人からもらうのではなく、自分で稼ぐものだと自分に厳しく言い聞かさせた時でした。
唯一残念だったのは、学問に打ち込めなかったこと。当時午前中は株式と投資、午後は旅行企画、夕方は人材派遣、研究室に行くのは夜の8時以後です。泊まることも多かったのですが、工学部はそう甘くはないです。文系と違って、研究に集中できなければ所詮成果をあげられないものです。ただ、工学部の研究室では、先生と生徒の厳しくやさしい関係や先輩後輩の面倒見などとっても感心しました。何より、工学部の人たちの謙虚さに学ぶことが多かったのです。
大学時代の生活はいろいろな意味で自分の糧にもなり、自分の生き方の原点は大学にあったといつも思います。